気比神宮【けひ】(福井県敦賀市曙町)
参道入り口の神橋と鳥居
境内入り口の鳥居
拝殿
掲示
氣比神宮御由緒
祭神七座
伊沙別命【いざさわけのみこと】 仲哀天皇【ちゅうあいてんのう】
神功皇后【じんぐうこうごう】 日本武尊【やまとたけるのみこと】
應神天皇【おうじんてんのう】 玉妃命【たまひめのみこと】
武内宿禰命【たけのうちのすくねのみこと】
主祭神伊奢沙別命は通称氣比の大神として二千年有余の昔当地に鎮座になりました。大宝二年(702)の御造営時に他の神々を合わせ祀り、祭神七座の格式は言う迄も無く越前之国一の宮・北陸道総鎮守と崇められる元の官幣大社であります。時恰も平成十四年、御祭神合祀一千三百年式年大祭が盛大に斎行されました。
境内に式内摂社・角鹿【つぬが】神社があります。「敦賀」の地名発祥の神社でもあります。当神宮と敦賀は古い歴史と伝統を守りながら時代を共にして来ました。九月に見る豪華絢爛の絵巻さながら、市民参加の敦賀まつり(氣比祭)が之を象徴しています。また六月の御田植祭と牛腸【ごちょう】祭・七月の総参祭【そうのまいり】は、いずれも御祭神ゆかりの特殊神事として注目されています。また仏教との関係も深く遊行上人のお砂持神事。旧跡は明らかでないが神宮寺は日本最古と記される氣比神宮寺。最澄(伝教大師)・空海(弘法大師)が求法の祈誓をかけて大行を修したと伝える聖地があります。その他芭蕉が「奥の細道」に北陸の勝を探り氣比社参。正保二年(1645)神領地・佐渡の国、鳥居が原にて伐採の榁樹一本で両柱を建立。芸術性に秀でた天下無双の大華表、有栖川宮威仁親王染筆にかかる扁額が爽やかに光を放つ。
古くより国家鎮護の大社として、悠久の歴史に育まれた「日本のこころ」が御参詣の皆さまの心を潤すことを願って已みません。
平成十八年三月吉辰
氣比神宮宮司謹記
拝殿から本殿を望む
摂末社
摂末社
撮影:2009.11
home 作成:2017.04.17