若狭彦神社【わかさひこ】(福井県小浜市龍前)

参道入り口

参道入り口

北方向1.5kmの小浜市遠敷に若狭姫神社がある。若狭姫神社で頂いた御由緒には、若狭彦神社を上社、若狭姫神社を下社として、
「併せて若狭彦神社とも、上下宮【じょうげぐう】ともたたえまつる。」とある。

参道

参道




杜の参道を進むと、随神門が見えてきました。
随神門には随身【ずいじん】の像八体が安置されている。若狭彦神、若狭姫神がこの地に鎮座されたとき、お供をした眷属の方々とのこと。
写真左手の巨木は神木の夫婦杉。二本の巨木が根元で密着している。夫の木は目通3.5m・樹高40m、婦の木は目通3m・樹高30mあるという。







位置的に考えると、手前の石で囲まれた区画には拝殿があったと思われる。




神門より本殿を拝する







境内掲示

 若狭彦神社は若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(二社)に分かれていますが当神社は上社にして奈良時代の霊亀元年(715年)の鎮座であります。海幸山幸の神話で名高い彦火火出見尊【ひこほほでみのみこと】を若狭彦神とたたえておまつりしてあります。
 ここより北一五00米の遠敷【おにゅう】の里に下社があります。当神社より六年の後養老五年の鎮座にして豊玉姫命【とよたまひめのみこと】を若狭姫神とたたえておまつりしてあります。
 両社を併せて上下宮【じょうげぐう】とも若狭一の宮とも総称しますが平安時代の延喜式にも名神大社として記載された若狭の国きっての格式の高い古社であります。



玉垣右手にある境内社若宮神社
祭神:鵜葺草葺不合尊【うがやふきあえずのみこと】
相殿:大山祇神【おおやまづみのかみ】、蟻通神【ありとおしのかみ】

祭神である彦火火出見尊【ひこほほでみのみこと】(若狭彦神)は、邇邇芸命【ににぎのみこと】と木花之佐久夜毘売【このはなのさくやびめ】の間に生まれた末っ子の神様です。長男は火照命【ほでりのみこと】、次男は火須勢理命【ほすせりのみこと】、三男が火遠理命【ほおりのみこと】、またの名を天津日高日子穂穂出手見命【あまつひこひこほほでみのみこと】という。
彦火火出見尊と日子穂穂出手見命は同じ神様です。日本書紀は前者を、古事記は後者の表記をとっています。(日本の神様の名前は本当に難しい。)
三兄弟のお名前に「火」がついているのには、訳があります。一夜の契りで木花之佐久夜毘売は身ごもりますが、邇邇芸命は国つ神の子ではないかと疑います。木花之佐久夜毘売は疑いを晴らすため、「無事生まれないなら国つ津神の子、無事生まれたら天つ神の御子」と言って入り口の無い建物に入り、その周りを土で塗り籠めます。出産の時に火を付け、火の中で無事に三柱の御子を出産したのでした。

火照命【ほでりのみこと】は、海佐知毘古【うみさちびこ】とも言われ、火遠理命【ほおりのみこと】は山佐知毘古【やまさちびこ】とも言われる。海幸彦山幸彦神話として有名だ。私も、小さいときに絵本で読みました。青木繁の絵画(井戸のそばの木の上部中央にいる山幸彦、瓶を持って見上げる二人の女性という構図)も思い出される。この絵について調べてみたら、見上げる女性の内、左側が豊玉毘売で右は侍女なのだそうだ。豊玉毘売は若狭姫神社の祭神である。火遠理命と豊玉毘売の間に生まれた神が境内社若宮神社の祭神鵜葺草葺不合尊【うがやふきあえずのみこと】である。この難しい名前にも訳がある。豊玉毘売は、お産をするため海辺の渚に、鵜の羽を葺草【かや】のように使って産屋を建てられた。しかし、完成しない内に産気づき御子がお生まれになった。鵜の羽で葺ききれない内に生まれた御子なので鵜葺草葺不合尊と名付けられたのだ。天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命【あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと】とも言われる。(古事記)(日本の神様の名前は本当に難しい。)




随神門の随身【ずいじん】(随神)
左右に四柱づつ鎮座。写真は本殿に向かって右手の随身。




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home   作成:2009.08.30