生田神社【いくた】(兵庫県神戸市中央区下山手通)
標柱には「官幣中社生田神社」の文字。境内入り口の鳥居は神明鳥居だが、右の図は明神鳥居になっている。
大海神社 |
松尾神社 |
大海神社の由緒 大海神社に鎮座されている御祭神は、猿田彦大神と申しあげ、神戸の地主神として最も古くこの地に祀られた神であります。その昔文禄元年、豊臣秀吉公の海外遠征の時、海上安全を守らせ給う神として船内にお祀りになったという故事が伝えられています。 古来、庶民に大層尊崇を受けとくに漁人舵子楫取の信仰が厚く、生田の浦を往来する船舶は帆を巻きおろして遥かに敬意を表したといわれています。 近時は、水先案内の神・海上安全・海運隆昌に御加護のある神として祈願され、海運関係の企業の方々に深く信仰されています。 |
灘五郷酒造の発祥地 神功皇后の御外征以来、毎年三韓より使節が来訪しております。 その使者が入朝及び帰国するに当たり朝廷では敏馬浦【みぬめのうら】(脇浜の沖)で新羅から来朝した賓客に生田神社で醸造した神酒を振舞って慰労の宴を催しこれ等に賜るのが例でありました。 この酒は「延喜式の玄蕃寮」によると生田、廣田、長田(以上摂津国)、片岡(大和)の四社より稲五十束ずつを持ち寄り、稲束二百束とし生田神社の境内で生田の社人に神酒を醸造させたもので、この神酒で新羅の要人の宴を賜ったと記されております。これが灘五郷酒造の始めと伝えられておりまして、酒造王国の発祥地は実は当生田神社であると言われております。 以上により当神社境内に「酒の神」松尾神社が末社として奉斎せられております。 松尾神社 御祭神 大山咋神【おおやまくひのかみ】 |
鳥居越しに楼門
拝殿
拝殿より本殿を拝す
本殿左手には八幡神社・住吉神社が、本殿右手には日吉神社・諏訪神社が鎮座している。(上の写真に一部が見えております。)
本殿
境内掲示 御由緒 当社は稚【わか】く瑞々【みづみづ】しい日の女神「稚日女尊【わかひるめのみこと】」をお祀り申し上げ古く神功皇后三韓より御帰還の砌【みぎり】、御神誨【ごしんかい】によって「活田長峡国【いくたながをのくに】」即ち現今の処に御鎮斎になった由緒高い大社で、神戸の地名は当社の「神戸【かんべ】」から起こったものであります。 古来より朝野の尊崇極めて篤く、生業守護・健康長寿の守護として名高く家運隆昌・円満和楽の御神徳を仰ぎ奉らむと年々歳々多くの神前結婚式をかぞえ、「縁結びの神」として有名であります。 又、平安の昔、文人墨客が名勝「生田の森」を訪れ、その後源平合戦の古戦場となり、近くは昭和二十年六月五日大東亜戦争の戦火により悉【ことごと】く焼土と化し、昭和三十四年四月氏子崇敬者の奉賛により、戦災の復興を成し遂げ、更に昭和五十九年式年造替の制を定め、輪奐【りんかん】の美いよいよ整いましたが、平成七年一月十七日未明阪神淡路を襲った大震災によって御本殿を始め諸建物、境内各所に甚大な被害を受けました。然しながら関係者の不断の努力により、平成八年六月震災前にも増して立派に修復がなったのであります。更に平成二十一年九月第三回式年造替により、すべての修復復興が完了いたしました。 尚、境内には「生田の森」「生田の池」「箙【えびら】の梅」「敦盛の萩」等幾多の史跡を有し、古くより今日に至るも有名な処であります。 祭日 四月十五日 例祭(春祭)神幸祭 九月十九日~二十三日 秋祭 |
『日本書紀』に稚日女尊に関する文章がある。
天の岩屋の段に一書として書かれたもので、稚日女尊が機殿【はたどの】で神衣を織っていたところ、素戔嗚尊がそれを見られて、まだら駒の皮を剝いで、部屋の中へ投げ入れた。稚日女命は驚かれて機から落ちて、持っていた梭【ひ】で身体を傷つけられて死なれた、という。この事件が決定打となり、天照大神は岩屋に入り磐戸を閉じられた。
もう一つのか所は、神功皇后が新羅出兵後、船を紀伊水門【みなと】に泊まらせ、さらに難波に向かっていると船がグルグル回りだし、前進出来なくなった。それで武庫の港に還り占ったところ、稚日女尊が教えて言われるに、「自分は活田長峡国【いくたのながおのくに】(摂津国生田神社)に居りたい。」といわれた。それで海上五十狭茅【うなかみのいさち】に祭らせたという。
左から、人丸神社【ひとまろ】・雷大臣神社【いかつおみ】・塞神社【さい】
人丸神社御祭神:柿本人丸公【かきのもとひとまろこう】
雷大臣神社御祭神:烏賊津連【いかつおみのむらじ】
塞神社御祭神:八衢比古命【やちまたひこのみこと】、八衢比売命【やちまたひめのみこと】
雷大臣神社の御祭神である烏賊津連【いかつおみのむらじ】は「元当神社社家後神氏先祖神中臣烏賊津連【いかつおみのむらじ】」とのこと。
市杵島神社(生田弁財天)
御祭神:市杵島姫命【いちきしまひめのみこと】
生田池に鎮座する
左奥:戸隠神社(御祭神:天手力男命【あめのたぢからおのみこと】) 右手前:折鳥居と礎石
折鳥居と礎石 此石柱は往古より生田神社表参道櫻並木の入り口西国街道際に建てられし石鳥居の柱なりこの鳥居は安政の大地震の際両脚の基部を残して倒壊せし為其一部は移されて諏訪山金星台の碑となり此石柱は原位置にありて所謂【いわゆる】生田の折れ鳥居として市民の間に幾多の傳説と信仰を産みつゝ親しまるゝ事今に至れり 昭和二十五年三月該地に朱塗大鳥居の起工せらるゝに当り新にこの浄域を選んでここに移し神戸市の歴史を物語る好個の記念物として永く保存の途を講ずることゝせり |
蛭子神社【えびす】 御祭神:蛭子尊【ひるこのみこと】 |
蛭子神社背後 |
稲荷神社
御祭神:倉稲魂命【うかのみたまのみこと】
生田の森にある御神木 |
生田の森にある生田森坐神社 御祭神:息長足媛命【おきながたらしひめのみこと】(神功皇后) |
生田の森
生田の森
写真:2014.11撮影
home 更新:2023.08.15a 作成:2022.07.30