生石神社【おうしこ】(兵庫県高砂市阿弥陀町生石【おおしこ】)

生石神社略記より
生石【おうしこ】神社の創建
人皇第十代崇神天皇の御代(西暦97年)日本全土に悪疫が流行して人民死滅の境にある時、ある夜二神(大穴牟遅【おおあなむち】、少毘古那【すくなひこな】の二神)が天皇の夢枕に現れ「吾が霊を斎き祭らば天下は泰平なるべし」とのお告げがあり依って此処に生石神社が創建せられたのである。以来忽ち悪疫も終息して天下泰平となる。

参道入り口 参道



割拝殿

割拝殿

生石神社略記より
日本三奇石乃寶殿 鎮の石室【いわや】とは
神代の昔大穴牟遅【おおあなむち】、少毘古那【すくなひこな】の二神が天津神の命を受け国土経営のため出雲国より此の地に座し給ひし時 二神相謀り国土を鎮めるに相應しい石の宮殿を造営せんとして一夜の内に工事を進めらるるも、工事半ばなる時阿賀の神一行の反乱を受け、そのため二神は山を下り数多神々を集め(当時の神詰 現在の高砂市神爪)この賊神を鎮圧して平常に還ったのであるが、夜明けとなり此の宮殿を正面に起こすことが出来なかったのである。時に二のたまわく、たとえ此の社が未完成なりとも二神の霊はこの石に籠り永劫に国土を鎮めんと言明せられたのでる。以来此の宮殿を石乃寶殿、鎮の岩室と言はれて居る所以である。 



拝所

拝所
御祭神:大穴牟遅神【おおあなむちのかみ】、少毘古那神【すくなひこなのかみ】




石の宝殿拝所 浮石

浮石

石の宝殿は、水面上に浮かんでいる様に見えることから「浮石」とも言われる




祠

拝所に向かって左奥の祠
祠

拝所に向かって右奥の祠

石の宝殿

角度を変えて石の宝殿を拝す


石の宝殿 奥は拝殿

角度を変えて石の宝殿を拝す


石の宝殿

角度を変えて石の宝殿を拝す

生石神社略記より
鎮の石室(通称、浮石)の容姿と工程
鎮の石室は三方岸壁に囲まれた巨岩の宮殿で池中に浮く東西に横たはりたる姿である。その容積は三間半(約七メートル)四方で棟丈は二丈六尺(約六メートル)、重量は五00〜七00トンと云われて居る。この工事に依って生じた屑石の量たるや又莫大であるが、これを人や動物に踏ませじと一里北に在る霊峰高御位山【たかみくらやま】(通称播磨富士)の山頂に猿が先導し牛馬で運び置かれ、その形状から鯛砂利と云はれている。高御位山と名付けられたのは此の故による。池中の水は霊水にして如何なる干魃に於いても渇することなく海水の満干を表はし又万病に卓効有るものと云ひ伝へられている。



霊岩

霊岩
此の岩は石乃宝殿の分岩です
全身の「力」を込めて押して下さい
必ずや神様より偉大なる「力」を御授け下さいます。岩に触れた手で
悪い処を撫でて下さい。




摂末社

左から、加志磨神社 恵美須神社 琴平神社 祖霊社



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写真:2020.11撮影
home   作成:2020.11.15