平野神社【ひらの】(京都市北区平野宮本町)

掲示

平野神社

 平安遷都に伴って、奈良の平城京からこの地に移された神社で、祭神として、今木神【いまきのかみ】、久度神【くどのかみ】、古開神【ふるあきのかみ】、比賣神【ひめのかみ】の四柱を祀【まつ】っている。平安時代中期には、伊勢、賀茂(上賀茂・下鴨)、岩清水【いわしみず】、松尾に次ぐ名社に数えられた。
 桜の名所として名高く、古くから各公家伝来の桜が奉納されたことから、境内には約五十種、約四百本の桜が植えれており、「平野の夜桜」として親しまれている。早咲きの品種は三月中旬、遅咲きの品種は四月二十日ごろに咲くといわれ、約一箇月間花見が出来る。
 歴代の朝廷に大変厚く崇敬され、律令の施行細目を定める「延喜式【えんぎしき】」で皇太子御神祭とされたほか、源氏や平氏をはじめ諸氏の氏神としても崇められた。
 本殿(重要文化財)は、寛永年間(1624〜1644)に建築されたもので、春日造【かすがづくり】の四殿を並べ、二殿ずつが「合の間」で連結されており、「平野造【ひらのづくり】」又は「比翼春日造【ひよくかすがづくり】」と呼ばれている。南門は、慶安四年(1651)に御所の旧門を下賜されたもので、昭和十八年(1943)に現在の大鳥居の位置から移築された。
 寛和元年(985)四月十日に花山天皇が桜をお手植えされたことにちなみ、毎年四月十日には桜祭が行われ、多くの人でにぎわう。

京都市

平野神社参道入り口

参道入り口
鳥居の額には「平野皇大神」の文字
参道ぞいの桜はまだ蕾




平野神社の参道

参道




平野神社の拝殿

拝殿




平野神社本殿

拝殿越しに本殿を拝す
比翼春日造(平野造)の本殿が二棟ある。向かって右の第一・第二本殿に今木神と久度神、左の第三・第四殿に古開神と比賣神を祀る。

 延喜式以前の貞観式【じょうがんしき】に、平野神は「平野・久度・古開三神」とあり、当初の祭神は三座で今木神が平野神と称されて主神の地位にあったことが分かる。のちの延喜式神名帳には葛野郡「平野祭神四社 並明神大 月次新嘗」となっている。
 今木神の今木は「今来」のことで、新たな渡来を意味した言葉であった。今来郡(大和国高市郡)には百済系の人々が多く居住し、今木神は本来、これら渡来氏族によって今来郡の地に祀られていた渡来神であった。
 『続日本紀』に「田村後宮今木大神従四位上に叙す」とあり、平城京の田村後宮(左京四条二坊十一坪あたりとされる)に移されたことがわかる。祭祀者は高野新笠と山部親王である。山部親王(後の桓武天皇)の母高野新笠の父が、和乙継【やまとのおとつぐ】と称する百済系渡来人であったことは、新笠の崩伝(『続日本紀』)からも明らかである。
 延暦十三年に都が平安京に移されるに及び、今木神も都に移されたのである。山城地方には古くから今木を名のる集団が居住しており、今木神の新都への遷座の下地はすでにあった。(『日本の神々5 山城 近江』 白水社)




平野神社の御神木

楠の御神木

掲示
ご神木 楠【くすのき】
樹齢 400〜500年 周径 6.68m 高さ 約25m




猿田彦社

猿田彦社
八幡社

八幡社



出世導引稲荷社

出世導引 稲荷社




春日社・住吉社・蛭子社・鈿女社

左より春日社、住吉社、蛭子社、鈿女社




平野神社寒桜の花

境内の寒桜
参拝したのは三月中旬、寒桜の花だけがお出迎え



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写真:2013.03撮影
home   作成:2020.02.27