大将軍八神社【だいしょうぐんはち】(京都府京都市上京区西町)

境内入り口

境内入り口


境内掲示

大将軍八神社畧記
御創建 人皇第五十代桓武天皇延暦十三年(西暦794)勅願により御創建された。
御祭神 星神大将軍をはじめ、方位八神を奉祀。
御由緒 平安京御造二際し桓武天皇は陰陽道を重く用いられ都を方位の厄災から守護する為内裏裏の北西角の大門に当るこの地に道教の星神を祀る大将軍堂を建立された。
 以来朝野の崇敬を篤く受け全国的に大将軍信仰は広まる事となった。中世応仁の乱後は神社として復興し江戸時代に入ると大将軍はそれ迄の星の大将としての妙見(北極星)信仰から太白星(金星)に移りさらに歴神(八将神)と習合して社名も大将軍八神宮と称した。
 明治の改正では陰陽道等は廃されたため御祭神は素戔嗚尊を主神に御子神八神を祀る神社となった。
 社殿は天文年間の旧建物を昭和の初めに八棟権現造の現社殿に造替した。
 方徳殿に立体曼荼羅様に祀られる大将軍像は道教密教神道の混淆した独特の神像で国の重要文化財に指定されている。 御神徳 大将軍は建築をはじめ人事一般方位に関わる全ての厄災を解除され八方開運にみちびく方除・厄除の御霊験あらたかな神である。
御例祭 十月第三日曜日に神幸祭が斎行され大神輿ずいき神輿等が巡行する。
境内掲示

大将軍八神社
 当社は、平安建キの際に都城の方除【ほうよけ】守護神として造営されたのが始まりとされ、当初は大将軍堂と称したが、江戸時代初期になって大将軍社と改められ、更に大将軍八神社となって現在に至っている。
 大将軍とは、陰陽道にいう星神天大将軍で、方位をつかさどる神である。このため、建築・移動・旅行などに関し、方除け、厄除けの神として世間の崇敬を集め、その時々の権力者達も当社を厚遇したといわれている。
 当社には、平安時代中期から末期にかけての大将軍信仰高潮期に奉製されたと思われる「神像」百余体が所蔵されている。このうち、武装像、束帯像、童子像合わせて八十体が昭和四七年(1972)に重要文化財に指定された。いずれの像も、独特の表情、装束で異彩を放っており、興味深い。また陰陽道に基づく、古天文歴道資料(府指定文化財)も蔵されている。

京都市



権現造の拝殿・本殿

権現造の拝殿・本殿




本殿

本殿を北東から見る

御祭神
 素戔嗚命【すさのおのみこと】(主神)
 天忍穂耳命【あめのおしほみみのみこと】
 天穂日命【あめのほひのみこと】
 天津彦根命【あまつひこねのみこと】
 活津彦根命【いきつひこねのみこと】
 熊野樟日命【くまぬのくすびのみこと】
 田心姫命【たごりひめのみこと】
 湍津姫命【たぎつひめのみこと】
 市杵島姫命【いちきしまひめのみこと】


八将神

太歳神【たいさいしん】 歳星【さいせい】(木星の精) 吉神。その年の十二支の方角に遊行する。
大将軍【たいしょうぐん】 太白星【たいはくせい】(金星の精) 凶神。3年間同じ方位に留まる。
太陰神【たいおんしん】 鎮星【ちんせい】(土星)の精 縁談/出産は凶、芸術/学問は吉。
歳刑神【さいきょうしん】 辰星【しんせい】(水星)の精 凶神。種蒔き/伐木は凶。
歳破神【さいはしん】 鎮星【ちんせい】(土星)の精 凶神。土を起こし、移転するのは凶。
歳殺神【さいさつしん】 螢惑星【けいわくせい】(火星)の精 凶神。婚姻・造作などは凶。
黄幡神【おうばんしん】 羅[目+侯]星【らごうせい】の精 土木建築は凶。弓始め(神事)に弓を射れば吉。
豹尾神【ひょうびしん】 計都星【けいとせい】の精 不浄を嫌う神。家畜類を求めたり、大小便をすると凶。出産や結婚も凶。

「図解陰陽師」(高平鳴海 編) 新紀元社を参考としました。




五社

五社
左から、 金毘羅神社・長者神社・天満宮・稲荷神社・恵比寿神社




摂社大杉神社

摂社 大杉神社




三社

三社
左から、 猿田彦神社・厳島神社・命婦神社




大金神社・歳徳神社

左から、 大金神社・歳徳神社



拾芥抄【しゅうがいしょう】という書物に、大将軍堂として「上一条北 西大宮西 中高辻北 万里小路東 下七条北 東洞院西」の上・中・下の三ヶ所を記すが、上大将軍堂が当社にあたるという。高倉天皇が建礼門院徳子の出産に際し、安産の奉幣祈祷を命じた社寺(神社四十一所、寺七十四所)の一つに大将軍堂が含まれている。中世期の京都には大将軍堂、大将軍社が数カ所あるが、当社には平安期から鎌倉期の製作とされる神像八十体があり、この時期広く信仰を集めていたことがうかがえる。したがって、拾芥抄記載の大将軍堂は、当社の可能性がきわめて高い。(日本の神々5)


八卦 八卦


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home   更新:− 作成:2014.03.14