晴明神社【せいめい】(京都市上京区晴明町)

安倍清明が没したのは寛弘二年(1005)で、その二年後に安倍清明の邸宅に一条天皇の勅旨により晴明を祭神として社が建てられた。
晴明の邸宅は当時の御所の鬼門にあたる位置にある。

晴明神社一の鳥居

参道入り口の一の鳥居
額には文字が無く「五芒星」が一つ
晴明神社二の鳥居

境内入り口の二の鳥居
額には「晴明神社」の文字



掲示

晴明神社由緒

御祭神 安倍清明【あべのせいめい】御霊神

沿革
安倍晴明公は孝元帝の御後胤で 幼時より御聡明で陰陽の道を極められ長じて陰陽寮天文博士として 朱雀 村上 冷泉 円融 花山 一条の六代の天皇に仕え幾多の御功績をたてられた 朝廷の祭政 生活の規範を陰陽の理を以て定められ 今日の我々の年中行事 占法等々に多くの影響を与えられている
 一条帝の御代 寛弘二年(1005)九月二十六日、御年八十五にてお亡くなりになると 帝の御鎮霊の勅旨をもって 晴明公邸跡に寛弘四年(1007)に神社としてまつられ現在に至る

御神徳
 晴明公は稲荷神の御分霊との信仰もあり 魔除け 厄除け 病気平癒又 火除け 方除けの崇敬を集めている

晴明桔梗印
 当神社御神紋は桔梗印もしくは五芒星と呼ばれ 晴明公の創められた祈祷呪符の一で魔除けの印である 天地五行(木・火・土・金・水)を象とり西洋諸国でも用いられる



晴明神社神門

左:安倍清明公像  中央:本殿神門  右:末社神門




晴明神社本殿

神門より本殿を拝す
祭神:安倍清明公




晴明神社末社

末社
提灯には、天満社・斎稲荷社・地主社の文字
斎稲荷社の斎は斎院の斎からきているとのこと。元は斎院で祀られていたお稲荷さんだそうだ。(晴明神社公式HP)
斎王とは、賀茂神社(賀茂御祖神社,賀茂別雷神社)の祭神に仕えた未婚の皇女で、伊勢神宮の斎宮にならって設置された。

稲荷社で思い出した伝説がある。和泉国信太の森に住む白狐が狩人に追われているところを、阿倍野に住んでいた安倍保名【やすな】に助けられるが、保名は怪我をする。白狐は「葛の葉」という女性に化けて、保名を介抱する。やがて二人は夫婦となり、できた子供が晴明だという。しかし、葛の葉の正体が白狐であることがばれて森に帰ってしまうが、その時に詠んだのが下の歌という。

恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉

人形浄瑠璃および歌舞伎の『蘆屋道満大内鑑』【あしやどうまん おおうち かがみ】(通称「葛の葉」「信太妻」)のストーリーとして知られる。 安倍晴明の系図(『図解 陰陽師』 高平鳴海編 新紀元社 参照)を見ると、父は安倍益材【ますき】となっている。上記の安倍保名は伝説上の人物だろう。




晴明神社の絵馬

絵馬

私が初めて晴明神社に参拝したのは2002年だった。その時撮った写真には、本堂に於いて行われたという座談会の記念として晴明らしきイラストのまわりに荒俣弘さん、夢枕獏さん、京極夏彦さん、岡野玲子さんの名が書かれた絵馬、「十月六日公開 映画 陰陽師 大ヒット祈願 晴明役 野村萬斎」と書かれた絵馬(映画は2001年に公開)、島田久作さん、中村雅俊さん、泉谷しげるさん、嘉門七海さん、水野真紀さん、沢口靖子さんなど有名な方々の絵馬がかかっていた。
2014年に再訪したときに撮った絵馬の写真を見たら、夢枕獏さんや岡野玲子さん,野村萬斎さんなど、複数回参拝されているのがわかる。夏木マリさん、市川染五郎さんのなど名前も見える。



晴明神社境内にある厄除桃

厄除桃
  晴明神社の瓦にある五芒星

神社の瓦には魔除の五芒星が

境内の掲示
厄除桃
 古事記 日本書紀 桃太郎伝説にあるように古来陰陽道では桃は魔除厄除の果物とされています
厄年の方に限らず自身の厄をこの桃に撫でつけてください




晴明神社境内にある晴明井

晴明井
晴明が念じて湧き出したという

境内の掲示
晴明井【せいめいい】
御祭神晴明公邸に古より湧き出ていた洛中名水の一で諸病平癒の信仰が篤い
流水口が本年の恵方【えほう】を向いており吉祥水が得られる
なお此処は茶道三千家の祖 千利休終焉【しゅうえん】の地で太閤秀吉に振舞ったり最期に自腹した茶もこの清水で点てたものであろう




晴明神社境内の式神

戻橋の横に式神がいました
晴明神社境内にある一條戻橋の欄干と親柱

一條戻橋

境内の掲示
 この欄干親柱は 大正十一年から平成七年まで実際に使用されていたものです
 御祭神安倍晴明公ともゆかりの深い橋ゆえ 境内に復元しました
 現在の戻橋は 神社から南へ百米の処に架っています



現在の一條戻橋

現在の一條戻橋

現在の戻橋の傍にあった掲示

戻橋【もどりばし】
延喜十八年(918)、文章【もんじょう】博士・三善清行【みよしきよつら】が亡くなった時、父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていた。
 浄蔵は柩【ひつぎ】にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠をこめて祈願したところ、不思議にも父清行は一時蘇生して父子物語を交わしたという伝説から戻橋と名付けたという。 太平記、剣の巻によれば、その頃、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱【わたなべのつな】が深夜この橋の東詰で要望美しい女子にやつした鬼女に出逢ったという伝説もあるところである。

京都市

陰陽師安倍晴明が、式神を一條戻橋の下に隠していたという伝説もある。




五行相生相克図 木剋土   木は土に克つ(木は地中に根を張って養分を吸い取る)
木は曲直して成長する性質
(時計回りで見ると)木から火を生ずる(木が燃えて火を生ずる)
 土剋水   土は水に克つ(土は水を吸い取り、せき止める)
土は万物を生み育て収穫を助ける性質
(時計回りで見ると)火から土(燃え後の灰)を生ずる
 水剋火   水は火に克つ(水は火を消す)
水は湿潤。低いところに流れる性質
(時計回りで)水から木を生ずる(水を得て木が成長)
 火剋金   火は金に克つ(火は金属を溶かす)
火は熱い。上昇する性質
(時計回りで見ると)火から土(燃え後の灰)を生ずる
 金剋木   金は木に克つ(金属製の刃物は木を傷つけ切り倒す)
金は変化しやすい性質
(時計回りで)金から水を生ずる(水が凝結し金属の表面に水滴)

五行相克図(『図解 陰陽師』 高平鳴海編 新紀元社 参照)はまさに五芒星だ
(鼠色の→は五行相生図)



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写真:2014.05撮影
home    作成:2020.02.07