愛宕神社【あたご】(三重県伊賀市上野愛宕町)
愛宕神社参道
写真手前中央近くの石柱には「愛宕神社境内地」とある
南側の境内入り口 中央奥は舞殿
舞殿、本殿
透塀上部の彫刻も見ものだ
本殿
頂いた御由緒
愛宕神社由来記
當愛宕神社は伊賀の国原が生み成された神代のむかし 朝日岳に坐す火産霊大神の磐境であり 市杵島姫命 猿田彦命 櫛御気野命 廣国押武金日命の神々を斎き祀りこれらの神々を総して阿多古大神と称し奉る古代神祇の神籬である 神域は天正九年兵火に焼かれて灰燼に帰したが乱後修験行者小天狗清蔵坊の勧進によって再興をみるに至った 折柄 伊賀の領主藤堂和泉守高虎公が城郭普請をはじめるにあたり 巽の方位に鎮守する地主神の神威を畏れかしこみて十余石の神領を寄進し国士安穏の祈願所として制札を下賜されてより以来毎年国中より初穂米三十二石の供饌が行われ領民ならびに近国の崇敬厚く神威赫々たるものがある 明治維新ののち祀典は神饌幣帛供進の儀定あって村社の神格に列せられた 神殿は桁間五間梁間二間向拝三間の檜皮葺き単層入母屋造りで唐破風の向拝を配する権現造りの形式を備えた江戸初期の建造物として昭和三十七年二月十四日県教育委員会より文化財の指定を受けた
昭和十九年十月吉日
県指定文化財・建造物
愛宕神社本殿
本殿には、元和二年(一六一六)大檀那藤堂高虎の棟札が有り、同年の造営と考えられる。
桁行五間、梁間二間、入母屋造、向拝三間で向拝には軒唐破風がつく。屋根は檜皮葺であったが後に銅板葺きに改め、軒は二軒繁垂木とする。平面は正側三方を縁にして擬宝珠高欄をめぐらしている。
本殿の彩色が美しい
本殿
本殿
摂末社
左「稲荷大明神」、右「八幡宮」。
中央が「阿多古 忍之社」となっているが、参拝方法が難しいヨ
頂いた御由緒
伊賀上野忍者神社
阿多古 忍之社由緒記
鎮座
伊賀市上野愛宕町一八二五番地
愛宕神社境内社 忍之社
当社は、修験者小天狗清蔵坊が愛宕神社再興を発願され勧進を始められたのをお聞きになられた藤堂高虎公が、多額の資金を提供され今の本殿が創建されました。
年を経て四百年、伊賀市が上野の町づくりや賑わいを進められる機会に、伊賀の忍者集団の名を世に問う努力に思いをいたし、『忍び』に関係する諸人の『心安かれ』と祈る場を、日本古来の精神生活の基である神道形式をもって、忍の先人「雉子【きぎし】の御霊」と、『修験者小天狗清蔵坊』の御霊を奉斉いたしました。
上野城下町で生活する人々に災い無く豊かな処、栄える処と祈願申し上げる聖地となります様思いをこめました。
東側の入り口
手前の赤い鳥居は明神鳥居、中央奥階段を登ったところにある鳥居は中山鳥居
南側入り口にある鳥居も中山鳥居だった。(写真2枚目)
ただ、柱からはみ出した貫が折れてしまった明神鳥居があるので要注意だ
若い頃柘植の社宅にいたのだが、夏祭りの花火の音が社宅まで聞こえて来た。同僚に「愛宕さんのお祭りの花火」と教えてもらった。それ以来この時期に花火の音を聞くと、「愛宕さんの祭」が頭に浮かんだ。当社に初めて参拝したのは、それからずっと後のことだ。初めて参拝したとき「こんなに立派な本殿を持つ神社だったんだ!」と感動した。参拝すると、ついつい透塀越しに本殿を拝観させて頂く。 (当社の夏祭りの花火は、現在行われていないようだ。)
写真:2017.07・2013.02撮影
home 作成:2017.08.23