比自岐神社【ひじき】(三重県伊賀市比自岐)
境内入り口
拝殿
2001年の参拝時に比べ、背後の樹木も育ち、落ち着いた感じになってきております。
本殿
掲示
比自岐神社
上野市比自岐六八三番地
創立年代不詳 延喜式内社である。
明治四十一年、一村一社の合祀令により旧比自岐村内に鎮座の三三社を当神社に合祀、大正十三年旧社格縣社に昇格する。
主神の比自岐神については当時の豪族比自岐和気の祖神であり比自岐和気は第十二代垂仁天皇の皇子圓目王に彼の息女を嫁がせた事からも如何に朝廷と関係が深かかったかが伺える。
一、祭神
比自岐神、天児屋根命、天照大神、剣根命、
応神天皇、建速須佐之男命、火産霊神、
大物主神、宇迦之御魂命、木花咲久夜比賣命、
大山祇神、伊邪那岐命、大綿津見神、菅原道真
一、主な祭典
例 祭 十一月十二日
祇園祭 七月第四日曜日
写真左上の木の説明掲示内容
銘記
この樹は、推定樹齢五百年の大杉であり元神社境内の神木として天にそびえる群の一本であったが平成十年九月二十二日の台風七号の暴風で無残にもこの姿になった。ちなみに、当日、上野測候所の観測では瞬間最大風速五十六.七メートルが記録され当地区にとってもこの台風の凄まじさ、史上稀なる体験であり数多くの被害をもたらした。
ここに「比自岐の杜」が竣工するにあたりその確証として長く保存するものである。
平成十四年三月二十三日
「比自岐の杜」推進協議会
比自岐地区連絡協議会
大きな樹木の株
以下は2001年9月参拝時の写真
拝殿の新しさと、背後の樹木の少なさが目に付く
境内掲示
災害復興事業の記録
平成十年九月二十日・・・・当地を襲った台風七号は、史上稀に見る風速猛威をふるい、境内に残る樹齢四百年を超える大木をなぎ倒し、千古を誇る鬱蒼とした杜の形態は一瞬に壊滅した。
更には、本殿以下、諸殿舎にも甚大な被害をもたらし、ここに、氏子等協議を重ねるうちに、当神社災害復興事業委員会を設立し事に当たり、本殿の修復工事をはじめ、塀・玉垣の建て替え、手水舎の修復、神楽殿の新築工事を計画し、氏子・外氏子等の御浄財を仰ぎ、約五千万円の経費をもって、平成十三年三月十日竣工するに至った。
(以下略)
実は、本殿の背後50m余り北に、通勤に使った道が通っている。(と言っても、この道を通勤に使うのは年に数回程度)若い頃は雪が多く、名阪が通行止めになったり、トラック・乗用車が坂道を登れなくなったりして渋滞することが多々あった。私は柘植まで通っていたので冬用タイヤは必須と心得ていたが、全ての人が使用しているわけではなかった。何度か渋滞を経験して、マイベストコースを考え出したのだ。比自岐の道を走っていると木々の茂った区画が目に付いた。地図で調べて神社と分かったが、当社に参拝するのに何年も経過してしまった。私が積極的に神社に参拝しようと思ったのは1998年(平成10年)8月だった。一番先に当社に参拝したなら、当時の杜を見る事が出来たのだが。
写真:2017.10、2001.09撮影
home 作成:2020.04.05