猪田神社【いだ】(三重県伊賀市下郡)

境内入り口

境内入り口
めずらしい瓦葺きの笠木をもつ両部鳥居。額には「猪田神社 住吉神社」と書かれている。




拝殿

拝殿
ここからは、極色彩の本殿をうかがいしることは出来ない。




境内石碑

猪田神社
上野市下郡字宮尻五九一番地
【「上野市」は現在伊賀市に変わっている。】

 当社は、この地方に深い縁由のある神霊を奉祀し、往古より延喜式内社として尊重されて来た。
 明治四十一年一村一社の合祀令により旧依那古村に鎮座する神々を当神社に合祀した。
 御祭神は猪田神、住吉三神(底土命、赤土命、磐土命)他二十五柱である。
 主神猪田神は十一代垂仁天皇の皇子意知別命三世の孫で十三代成務天皇(一三一)の御代に伊賀の国造に任ぜられた武伊賀都別命である。
 住吉の神は、延暦三年(七八四)白鷺を使者として摂州住吉大社から勧請した。
 社地は、伊賀の郡家が所在した郡の西方神奈備の丘にあり、時の支配者伊賀臣が祖と仰ぐ武伊賀都別命を守護神として祀った。
 神社の起源は詳らかではないが、社殿の創建は「天正十五年の棟札」によると、延暦三年である。
 当時の本殿は、天正九年(一五八一)伊賀の乱で焼失し、その後猪田山出の小天狗清蔵が再建を図り、慶長九年(一六〇四)に完成した。
 現在の本殿は、桃山時代の粋を集めた華麗な建造物として、昭和三十七年二月十四日「三重県重要文化財」の指定をうけた。



本殿・脇末社

本殿と脇末社

拝殿前から南に通じる道があり、登り口にある満珠石の覆屋を左側に見て、時計回りにさらに進むと本殿の横に出ることができる。
(上の写真は玉垣外から撮したもの。)

境内掲示

猪田神社御祭神

猪田神
依那古神     健御名方命  宇迦能御魂神   小泉太郎左衛門
蛭子命      大日■貴命(■:雨冠+口口口+女)
坂戸神      應神天皇   仁徳天皇     大物主神
市杵島比賣命   大山咋命   建速須佐之男命  天児屋根命
綾門日女命    猿田彦命   菅原道真     大山祇神
木花佐久夜比賣命 伊弉册命   火之迦具土神   速玉男命
事解男命     倭姫命    底土命      赤土命
磐土命      神功皇后




本殿左前方 本殿右前方

本殿(宮司さんが玉垣内に入れて下さった。2001年9月撮影。)

境内掲示

県指定重要文化財・建造物
猪田神社本殿

 本殿は一間社流造【いっけんしゃながれづくり】、屋根は檜皮葺き【ひわだぶき】で、軒は二軒繁垂木【ふたのきしげたるき】とし浜床【はまゆか】を設け、正側三方の縁と浜床に擬宝珠高欄【ぎぼしこうらん】をめぐらす。柱は円柱で縁長押【ふちなげし】、頭貫【かしらぬき】を回し軸部を固め、連三斗【つれみつど】の組物をのせる。中備として正側面に蟇股【かえるまた】を入れるが、側面の蟇股【かえるまた】は、巻斗【まきと】を省略して直接に妻虹梁【つまこうりょう】を受け、その上に象鼻様の拳鼻【こぶしばな】をつけた大瓶束【たいへいづか】を立て棟を受ける。
 全体に丹塗りを基調に極色彩を施す桃山時代の華やかな建物である。
 天正伊賀の乱で消失し、その後天正十五年(一五八七)、慶長九年(一六0四)の棟札があるが、後者が現在の建物に該当すると考えられる。

(昭和三十七年二月十四日指定)
伊賀市教育委員会





摂末社

満珠石(覆屋の中にある)



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写真:2007.06、2001.09撮影
home   作成:2008.04.20