神戸神社【かんべ】(三重県伊賀市上神戸)

参道入り口から神戸神社の杜を見る

参道入り口から神戸神社の杜を見る




境内入り口

境内入り口




拝殿



御祭神
大日霊貴命【おおひるめむちのみこと】
天児屋根命【あめのこやねのみこと】
天太玉命【あめのふとだまのみこと】
栲機千々姫命【たくはたちぢひめのみこと】
倭姫命【やまとひめのみこと】
手力男命【たぢからおのみこと】
天忍穂耳命【あめのおしほみみのみこと】
三穂津比賣命【みほつひめのみこと】
彌津波能賣神【みづはのめのかみ】
火之迦具土神【ほのかぐつちのかみ】
大山祇神【おおやまつみのかみ】
大物主神【おおものぬしのかみ】
市杵島姫命【いちきしまひめのみこと】
猿田彦神【さるたひこのかみ】
大海津見神【おおわたつみのかみ】
金山彦命【かなやまひこのみこと】
速須盞男命【はやすさのおのみこと】
事代主命【ことしろぬしのみこと】
八柱大神【やはしらのおおかみ】


拝殿から右側に回り込むと、神明造の本殿が見えてきました。


ひさしぶりの参拝でしたが、改めて本殿を拝すると「デカイ。」
伊賀地区では一番デカイのではないだろうか。



逆方向から見た本殿

神戸神社由緒より

神戸神社由緒

 当社は、往古より穴穂宮と称し、明治四十一年十月村内諸社を合祀し、社号を神戸神社と改める。倭姫世紀によれば、第十代崇神天皇御代に倭姫命は天照大神を戴き御杖代となられ、倭国笠縫邑よりお出ましになり、各地を巡幸されました。崇神天皇六十六年巳丑伊賀国穴穂宮に立ち寄られ四年間御鎮座になりました。伊勢より先に祀られていたので元伊勢の名でも呼ばれています。倭姫命が暗崎川(現在、木津川)の川上の岩鼻という所にて鮎を取り朝神饌・夕神饌に大神様へ共進されていました。その後、第十一代垂仁天皇即位二年癸巳に同国敢都美恵神社へ遷られる。
 現在でも、特殊神事として神卜座【かみとざ】・幣座【へいざ】が参列する。「初魚掛祭」【はなかけまつり】があり、伊勢にご鎮座された後も古例に習い毎年六月の神宮月次祭に干鮎千八百尾を献納、敬神婦人会による神宮神田での御田植、秋の抜穂の御奉仕と本崇大神に報恩感謝の誠を捧げ今日に伝承されております。
 当社も、神宮御遷宮の後には、神宮古材を拝領賜わり、本殿の式年造替【しきねんぞうたい】を二十年毎に行っております。近年では平成七年十一月に斎行致しました。
<飛地境内社>高瀬神社(延喜式内社)
          比地神社(延喜式内社)
          領主谷神社

考  証

一、延長伊賀風土記に曰く伊賀郡神戸山崇神天皇六十六年天照大神垂跡也。
一、儀式帳に崇神天皇御宇太神宮遷幸曰く伊賀穴穂宮に坐す。
一、倭姫世紀に六十六年巳丑伊賀国穴穂宮に遷し積四年奉斎奉る。此時伊賀国造進箆山葛山神戸並地口御田細鱗魚取渕梁作瀬等朝御気夕御気供進す。
一、豊受皇太神宮御鎮座本記に明年戊午、雄略天皇二十二年中略丹波国吉佐遷幸倭国宇太の宮御一宿次伊賀国穴穂宮御二宿此時朝御饌箕造竹原並箕藤黒葛生所三百六十町亦年魚取渕梁作瀬一処亦御栗楢三町国造等貢進む仍て二所皇太神の朝大御気夕大御気の料所に定め給う。
一、神宮雑例集 伊賀国伊賀郡神戸
一、伊賀記 神戸郷天照大神御仮殿の御在所今の正殿は倭姫命なり。
一、伊水温故 神館社上神戸村号穴穂宮二坐也皇太神一坐倭姫命一坐。
一、御鎮座本記「文略」按に上神戸村に坐す穴穂宮神館の社と称す是也。
一、太神宮隠市守宮より当社に遷座夫より敢柘殖宮に幸ます。今本殿一坐倭姫命、攝社左天児屋根命、右天太玉命。古昔萱葺なり阿波山に入りて萱を刈る式あり、近世板葺にして此の式なし干木庁?あり豊受神は倭の国宇太の宮阿記宮より倶に祭祀に預る。慶長元年丙申の上梁文あり。
一、二所太神宮御遷幸図説 同国穴穂宮四年奉斎
  伊賀国伊賀郡上神戸村神館社と云うにあり、名張町丑寅方一里半東川の南西小山北上神戸也、世記に云う年魚取渕梁作瀬あるは東の川なるべし。豊受皇太神御遷幸時此宮に二宿坐す、両宮御遷幸の宮跡を以て敬重し奉る所也。
以上


倭姫命は天照大神の御杖代として巡幸中、一時穴穂宮に鎮座したことになっております。当社がその穴穂宮に比定されております。
神明造りの社殿が美しいです。(伊勢神宮式年遷宮の翌年に頂いた旧材を使用して造営されます。)





写真右にある石碑には、以下の様に書かれてありました。



第十代崇神天皇の御代倭姫命巡幸の際 天照大御神を御鎮座なされし神社にて当時は天之眞奈井の水なるものありしも星移り歳換りて、井戸の場所も確かならずも此度 神宮別宮倭姫宮御鎮座八十年の記念すべき年にあたり、天之眞奈井戸を甦らせ奉らんと文献に依り、図面通り井戸の位置が確かとなりる。
役員一同眞奈井戸の再現を議決
六月二十一日役員有志三名猛暑を衝いて採掘に着工
六月二十二日午後五時十五分水脈に達し
誠に清き透明な御神水の涌出を見るに至り完成を祝し茲に天之眞奈井の水記念碑を建立し御協賛奉献賜った方々の御芳名を刻し後世に遺すこととする。
平成十四年壬午十二月二十八日
神戸神社宮司 奥村 司

(以下略)



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home   更新:2012.05.03b 作成:2006.10.19