丹生神社【にう】(三重県多気郡多気町丹生)

境内入り口

境内入り口




参道

参道の正面にあるのは境内社丹生中神社
鳥居の手前を左に折れると本殿がある。




丹生神社拝殿

丹生神社の鳥居と拝殿が見える

丹生神社本殿

本殿
境内掲示

丹生神社由来

祭神 埴山姫命・水波賣命ほか十六柱
 延喜式の神名帳、飯高郡九座に列せられた由緒ある神社で、継体天皇十六年(523)に鎮座したという。聖武天皇が東大寺大仏殿の建立のさい、水銀の産出をこの神に祈ると忽ち水銀が湧出したので、丹生明神と名付けた。又嵯峨天皇が降雨を祈ったら霖雨があり、晴れを祈ったら晴れたという故事により丹生大明神は祈雨・祈晴の神ともいう。
 中世、伊勢の国司北畠氏が毎年参拝し、造営等の奉仕をした。その後松阪城主吉田大膳より慶長十六年(1611)高三十石を寄進するとの奇付状が交付された。同年伊勢外宮権禰宜檜垣筑後が、当社神主をかね以後檜垣家が神主となった。(現在は異なる)
 元和五年(1619)紀州藩主徳川頼惟宣から社領三十石を認められた。以後の藩主は自ら参向して国家安穏五穀豊穣を願い金銀等を寄進した。安永五年(1776)紀州藩寺社奉行の直支配になり境内は御免許地となった。また延宝五年(1677)より伊勢神宮の遷宮の翌年その古殿材を拝領して造営した時代もあった。
 明治四十一年一月二十一日境内社十数社を合祀した。
 なお近接する神宮寺とともに水銀に関する遺物が保存され、両者は水銀を通じて深い関係にあることが推察出来る。

丹生神社々務所



『三重県神社誌』には、以下の祭神名が記載されていました。

埴山姫命【はにやまひめのみこと】、彌都波能賣神【みつはのめのかみ】、天照大神【あまてらすおおみかみ】、栲幡千々比賣命【たくはたちぢひめのみこと】、武甕槌命【たけみかづちのみこと】、齋主命【いわいぬしのみこと】、天津兒屋根命【あまつこやねのみこと】、姫大神【ひめおおかみ】、大己貴命【おおなむちのみこと】、活津彦根命【いくつひこねのみこと】、熊野[木+予+象]樟日命【くまのくすひのみこと】、饒速日命【にぎはやひのみこと】、猿田彦命【さるたひこのみこと】、大山祇命【おおやまつみのみこと】、市寸島比賣命【いちきしまひめのみこと】、月讀命【つきよみのみこと】、素戔嗚命【すさのおのみこと】、氣吹戸主命【いぶきどぬしのみこと】、金山比古命【かなやまひこのみこと】、金山比女命【かなやまひめのみこと】、誉田別命【ほんだわけのみこと】、五柱男神、三柱女神、豊受比賣命【とようけひめのみこと】、建御名方神【たけみなかたのかみ】、大國魂神【おおくにたまのかみ】、蛭子命【ひるこのみこと】、底度久神【そこどくのかみ】、安部晴明【あべのせいめい】、菅原道眞【すがわらみちざね】、火遠理命【ほおりのみこと】、秋葉大明神【あきばだいみょうじん】、愛宕大神【あたごおおかみ】、宇迦之御魂神【うかのみたまのかみ】、不詳一座



本殿の据玉

神明造の本殿高欄には五色の据玉が付けられている。
伊勢の内宮・外宮正殿の高欄に同様の据玉が付けられているのを写真で見た。
丹後の国一宮元伊勢籠神社本殿にも同様のものが設置されているを実際に見た。




境内

境内




男神 女神
男神(陽石) 女神(陰石)
対面石 丹生都姫神社
伝 丹生津比売 弘法大師 対面石 丹生都姫神社(祭神:丹生都姫命)
お隣の神宮寺(丹生大師)にある



丹生中神社

丹生中神社
境内掲示

丹生中神社由来
祭神 金山彦命・金山比女命ほか十七柱
 延喜式の神名帳、飯高郡九座のうちにあげられている。
往古この地の山々より多くの汞【すいぎん】を掘り出し、伊勢の両宮へ貢いだ事は外宮旧事記等にも記載されており、この神社には金山槌・金山樋等の神宝がある。
 なお、明治四十一年二月十六日から四月十八日にかけて、村内の八幡神社・八柱神社・金比羅神社、塩垣神社等三十余社を合祀し、現在に至っている。

丹生神社々務所




稲荷大明神

稲荷大明神




参道横の池


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home   作成:2009.05.08