大村神社【おおむら】(三重県伊賀市阿保)

西側参道入り口 東側参道入り口

西側参道入り口

東側参道入り口



参道

西側参道




境内入り口と拝殿

境内入り口、正面は拝殿



境内看板

延喜式内 大村神社
               三重県名賀郡青山町阿保 鎮座
一、御祭神
  主神
   大村の大神【おおむらのおおかみ】
  配祀神
   武甕槌神【たけみかづちのかみ】 経津主神【ふつぬしのかみ】
   天児屋根命【あめのこやねのみこと】
  合祀神
   応神天皇 大日■貴命
(■:「雨」冠/「口口口」/「女」)
   天押雲命 市杵島比売命
   大物主命 大山祇命 事代主命 火之迦具土命
   建速須佐之男命 多岐里毘売命 狭依毘売命
   多岐律比売命 水波能売命 宇迦能御魂命
   速玉男命 月夜見命 稲田姫命

一、御由緒
   当社は延喜式神名帳所載の古社で、御祭神、大村の神は
   第十一代垂仁天皇の皇子(息速別命)で伊勢神宮を
   奉鎮せられた倭姫命の弟君にあたる。社域は宮室の築
   かれたところで、命及び御子孫が代々居住し、大和文化の
   移入、土地・産業の開発に尽くされ、伊賀南部一帯の
   総社として広く崇敬をあつめている。
   相殿奉祀の武甕槌神・経津主神は神護景雲元年に
   常陸下総国より三笠山御遷幸の途次に奉斉。共に
   奉斉された要石は土地の鎮め、地震除災の信仰を
   あつめている。

一、例祭
   十一月二日(宵宮)
   十一月三日

玉垣内に本殿

本殿

本殿は北面して鎮座している。 本殿の右に宝殿がある。宝殿は、明治22年まで本殿だった建物。(重要文化財)天正の乱の兵災後6年目の天正15年に再建されたもので当時の棟札が残る。
明治40年11月5日、阿保【あお】・羽根・別府【べふ】・寺脇・岡田・柏尾【かしお】地区の境内社5社を含む計25社が大村神社に合祀されている。
明治41年5月11日、古来大村神社の氏子圏であった種生村川上の鹿島神社が大村神社に合祀されている。




集会所

地区ごとに設けられた集会所。
祭祀にあずかる宮座は28座。全国神社中最多と言われている。




要石社 要石

要石社
狛犬と狛鯰【こまなまず】?がおります。
背後玉垣内に宝殿が見えます。

要石

要石
基底部は地中に埋まっているが、高さ46cm、周囲190cmほどの自然石で、地震守護の霊石である。
安政大地震の時参詣でにぎわったという。大正12年の関東大震災の後も参詣者が多かったという。




鐘突堂 虫喰鐘

鐘突堂

虫喰鐘

虫喰鐘
旧別当寺禅定寺(廃)の名ごりで、世に「阿保の虫喰鐘」といって知られている。
梵鐘は、高さ150cm、径88cm、厚さ8.2cm。鐘面はひどく蝕害され、瘤は一つも残っていない。



「青山町史」には以下の様に書かれていました。

創建は明らかではないが、阿保の水田地帯を開発した豪族が部族の祖神を氏神として祀ったのが起源ではないかと考える。部族が息速別命【いこはやわけのみこと】を祖神として観念していたのなら、「大村の大神=息速別命」は大いにあり得る。社名の大村については、阿保六郷上津六郷を含む「大きいムラ」の中心にある神社という意味でこの社名が生まれたと解したい。オオムラは阿保村のアオがつまってオオになったとの説があるが、地名がアホからアオなのに、神社名だけがオオにつまるのは疑問だ。
武甕槌神を勧請して鹿島社として地域住民が崇敬をはじめたのはおそらく奈良時代以降、春日信仰が流布してからのことだろう。



境内

境内
巳の神杉

巳の神杉


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写真:2008.06撮影
home   更新:2008.11.07b 作成:2006.07.06