菅原神社【すがわら】(三重県伊賀市上野東町)

境内入り口

鳥居の奥に楼門、さらに奥に拝殿




楼門 楼門

参拝したのは6月、楼門に茅の輪が設置されておりました。



楼門と境内社松尾神社

楼門をくぐると左手に境内社松尾神社がある



境内

手水舎。左奥は拝殿。右奥は境内社美加多神社。



拝殿

拝殿
左に「菅原神社」と書かれた提灯、右には「九社神社」と書かれた提灯がある。



本殿

玉垣内は樹木が多く、本殿がよく見えません。
本殿の左前方に境内社八幡神社、右前方に多賀神社があります。



境内東入り口

境内東入り口
奥に高原稲荷神社が見えます。
境内社高原稲荷神社

境内社高原稲荷神社


祭神
天満宮
 菅原道真公【すがわらみちざねこう】

相殿九社神社
 天照大御神【あまてらすおおみかみ】、伊邪那岐大神【いざなぎおおかみ】、建速須佐之男神【たけはやすさのおのかみ】、応神天皇【おうじんてんのう】、宇迦能御魂神【うかのみたまのかみ】、天児屋根命【あめのこやねのみこと】、建御名方神【たけみなかたのかみ】、大山咋命【おおやまくいのみこと】、速玉之男神【はやたまのおのかみ】、八王子【はちおうじ】、稲田比売命【いなだひめのみこと】、安閑天皇【あんかんてんのう】

境内社多賀神社(本社瑞垣内)
 伊邪那岐神【いざなぎのかみ】
境内社八幡神社(本社瑞垣内)
 誉田別命【ほんだわけのみこと】
境内社松尾神社
 大山咋神【おおやまくいのかみ】
境内社高原稲荷神社
 宇迦能御魂神【うかのみたまのかみ】
境内社美加多神社
 比地山神
鎮霊社
 氏子内出身戦士戦没者

 上野山平楽寺の伽藍神(鎮守神)で、天神宮・天満宮と称した宮が当社の前身という。天正九年(1581年)織田信長の兵火で平楽寺とも社殿が焼失し、現在地に遷座したといわれている。一説には、上野村田端の辺りに遷座後、藤堂氏の所領となってから現在地に遷座せられたとの説もある。
 相殿九社神社は元九所明神と称し、上野村区域内九カ所に鎮座していたのが現社地に奉遷されたものだそうです。



西北から境内を見る

左手に鐘楼が見えます



 私は、名張から当時の上野市内(現伊賀市上野)にある高校に通学しておりました。今思うに、自分は勉強に関する事以外は非常にまじめな高校生だったようです。下校後の買い食いなんて皆無で、寄り道するとすればたいがい本屋でした。参考書や問題集を買うためではなく、目的は小説でしたが。(^_^;)
 上野市駅近くの本屋さんを利用することが多かったのですが、たまに遠くの本屋さんに足を延ばすこともありました。その一つが伊賀鉄道広小路駅近くのY書店で、高校の教科書はここで購入することになっていたので早くに知るところとなりました。そしてY書店で「ガロ」という雑誌を知り、白土三平の「カムイ伝」に出会ったのであります。小学生の頃、貸本屋で借りて読んだ「忍者武芸帳」以来、私は白土作品の大ファンでした。

忍者電車
広小路駅近くの踏切。踏切を渡って左を向くと駅だ!

話がどんどん逸れており、修正致します。(^_^;)

 Y書店へ行くには、銀座通りから東町を抜けて行くのですが、真っ直ぐ行くと菅原神社に突き当たります。道はここから神社の境内に沿って「コ」の字形に曲がっているのです。「たいしたもんだ。」と感心しながらY書店に行った記憶があります。しかし、当時菅原神社という名前すら覚えておりませんでした。天神さんということは知っていた気がする。多分・・・

神社の地図 ←地図

上野天神祭はここ菅原神社のお祭です。2007年のパンフレットによりますと、

10月23日 宵 宮 祭  東御旅所において午後7時から宵宮祭。
       宵  山  本町・二之町筋において午後7時から9時までだんじりに提灯・雪洞を飾り
             ロウソクで点灯し、展示。(雨天中止)
10月24日 足揃の儀  三之町筋において、午後2時から4時まで鬼行列の練行。
             本町、二之町筋などにおいて午後1時から4時までだんじり曳行。(雨天中止)
       宵  山  午後6時30分頃から9時頃まで本町、二之町筋などを提灯に点灯してだんじりの曳行。
10月25日 本  祭  午前9時東御旅所出発。

との事です。
高校時代、上野天神祭とテストの日が必ず重なっておりました。「これは、学校の陰謀だ!」という意見がしきり。

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更新:2009.06.27c 作成:2005.07.02