高倉神社【たかくら】(三重県伊賀市西高倉)
一の鳥居 (右手看板記載内容及び西高倉の山ノ神はこちら) |
参道入り口 |
拝殿
本殿 |
本社祭神 高倉下命【たかくらじのみこと】 倭得玉彦命【やまとえたまひこのみこと】 |
本殿装飾 |
境内看板
高倉神社略記
祭神 高倉下命【たかくらじのみこと】
神武天皇東征の功神にして倉庫守護 延命長寿の霊験あり 七代の孫 倭得玉彦命この地に移り住んで祖神を祀る
を最初とする 東、西高倉地区の氏神なり
創建は古く垂仁天皇のころと伝え貞観三年(八六一年)従五位下の神階をうけ 国史見在社であります
現社殿は 天正二年(一五七四年)に伊賀国守護職仁木長政の造営
一間社流造りで桧皮葺の本殿を中央に右に八幡社 左に春日社と三社信仰を今に伝える古社
日本最古の補陀落寺町石の補陀落寺は 当社の別当寺であります
重要祭典
祈年祭 二月二十一日
御灯際 四月第二土曜日(但、隔年)
倉暉祭夏祭 七月十三日
例祭 十月十五日
新嘗祭 十一月二十七日
春日社 |
春日神社祭神
天兒屋根命【あめのこやねのみこと】
大山咋命【おおやまくいのみこと】
大物主命【おおものぬしのみこと】
白山姫命【しらやまひめのみこと】
武速須佐男命【たけはやすさのおのみこと】
紐結命【ひもゆいのみこと】
八幡社 |
八幡神社祭神 應神天皇【おうじんてんのう】 火産靈神【ほむすびのかみ】 高■神【たかおかみ】(■:雨冠+龍) 少彦名【すくなひこな】 倉稲魂命【くらいなたまのみこと】 大山祇命【おおやまつみのみこと】 蛭子命【ひるこのみこと】 |
八幡社装飾 |
八幡社の装飾
境内看板
国指定重要文化財・建造物
高倉神社本殿・境内社(八幡社・春日社)
附、棟札六枚
本殿と八幡社本殿(向かって右)は、ともに一間社流造檜皮葺【いっけんしゃながれづくりひわだぶき】で土台上に建ち、組物連三斗【くみものつれみつど】、中備蟇股【なかぞなえかえるまた】、間斗束【けんとづか】、妻飾り【つまかざり】、虹梁大瓶束【こうりょうたいへいづか】で様式平面ともよく似ている。
春日社本殿(むかって左)は伊賀地方では珍しい一間社隅木入春日造【いっけんしゃすみぎいりかすがづくり】で、檜皮葺とし、組物出組【でぐみ】、中備蟇股、間斗束、妻飾り、木連格子【きづれごうし】で、屋根は千木【ちぎ】、鰹木【かつおぎ】で飾る。天正二年(一五七四)仁木長政本願造立の棟札を残し、建立年代が明確である。他の二社も同時期と考えられている。
彫刻や色彩には桃山時代の華麗な特色がよく表れており、県内の代表的な社殿である。
その他境内には、国指定天然記念物シブナシガヤ県指定のアヤマスズ自生地がある。
(大正十五年四月十九日指定)
(昭和三十四年六月二十七日棟札追加指定)
伊賀市教育委員会
社伝には高倉下命の七世の孫倭得玉彦命が当地に住し、高倉下命を祀り氏の社と定められたのが創祀と伝えられているそうです。 「三代実録」の清和天皇貞観三年(861年)四月十日の条に伊賀国正六位上高蔵神を従五位下に叙する記事があり、これを国史上の初見とする国史見在社です。
「なんと、美しい!」
これが、始めて高倉神社に参拝したときの私の感想です。
高倉神社には、私が神社巡りを始めて比較的早い時期に参拝致しました。 その後数々の神社に参拝し、今回再び高倉神社に参拝を致しましたが、「やっぱり、美しい!」
もう一つ私が美しいと感じた社殿は、住吉大社の本殿です。そのとき、なぜかモンドリアンの絵を連想致しました。高倉神社の美しさを絵でたとえるならば、ミュシャ?
home 更新:2008.05.01b 作成:2005.11.04