瀧原宮【たきはらのみや】(三重県度会郡大紀町滝原)
参道入り口
素晴らしい参道
参道
参道が終わると広い境内に出る。
写真左は瀧原宮の玉垣御門。その右奥、かすかに見えているのは若宮神社の玉垣御門。
中央の鳥居は瀧原竝宮の鳥居。右奥の鳥居は瀧原宮の鳥居。
瀧原宮【たきはらのみや】 祭神:天照大神御魂 |
瀧原竝宮【たきはらならびのみや】 祭神:天照大神御魂 |
玉石が色分けして敷き詰められている。雨上がりに見てみたい。
写真左から ・御船倉(南面)【みふなぐら】 ・若宮神社(南面)【わかみや】 祭神:若宮神 ・長由介神社(西面)【ながゆけ】 祭神:長由介神 ・長由介神社には川島神社が御同座鎮祭 祭神:川島神 |
由緒
御祭神
瀧原宮、瀧原竝宮は、ともに皇大神宮(内宮)の別宮【べつぐう】で、昔から「大神の遙宮」【おおかみのとおのみや】と言われています。御祭神はいずれも、天照坐皇大御神御魂【あまてらしますすめおおみかみのみたま】で、両宮とも同じ所に御殿をならべて陰座されています。
御鎮座地
御鎮座の地は、宮川をさかのぼること約四十キロ、その支流大内山川が深い渓谷をなして流れる山間にあります。「瀧原」という名は、大小たくさんの滝があるところから出た名です。
そのむかし、西国三十三所の巡礼を志した人々が、まず伊勢の大神宮にお詣りしてから、熊野の第一番札所を目ざして歩みを運んだ熊野街道は、現在、国道四十二号線となり、当宮の前を通っています。ここから荷坂峠を越して黒潮洗う紀伊の海岸に出て、南紀への旅を快適にしています。
当宮は、紀勢本線の滝原駅で下車し、およそ一・五キロ。また松阪駅から出発する南紀特急バスが約一時間で一の鳥居前を結びます。自家用車の場合大型駐車場もあります。
御鎮座の由来
第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命が、御杖代【みつえしろ】(御使い)として天照坐皇大御神を奉載して、宮川下流の礒宮【いそのみや】をお発ちになり、上流の方に御鎮座の地を求めてお進みになると、砂をも流す急流瀬があり困っておられたので、真奈胡神【まなこのかみ】がお出迎えをしてお渡し申し上げた。そこで命はそのところに真奈胡神をまつる御瀬社【みせのやしろ】をお定めになったのが、今の皇大神宮摂社、多岐原神社【たきはら】です。瀧原宮の下流約六キロ、大紀町三瀬川の宮川に臨む断崖の上に鎮座されています。近年ここに熊野街道の「三瀬の渡し」がありました。
倭姫命はさらに真奈胡神の案内でお進みになると、「大河の瀧原の国」という美わしい土地があったので、この地に草木を刈り払って新宮を建てられたのが、瀧原宮の起源です。そののち皇大御神の御神意によって、再び伊勢の方へ向かわれたので、瀧原に御滞留の期間はさほど長くはなかったと思われます。この御由緒によって御遷幸後もかわることなく、皇大御神を奉斎して今日に至っています。
なお、両宮とも皇大御神の御魂を奉斎しているのは、皇大神宮に皇大御神を奉祀し、同別宮荒祭宮に皇大御神の荒御魂を奉斎する姿の古い形と考えられます。
「日本の神々6」(白水社)には、瀧原宮には、天照大神の和魂【にぎみたま】を、瀧原竝宮には荒魂【あらみたま】を祀るとの言い伝えが記載されている。また、「大神の遙宮」【おおかみのとおのみや】とされることについて、「遙宮」【とおのみや】とは「遠隔の宮」を意味し、ここは伊勢神宮遙拝の地と考えられるとのこと。元伊勢の一つとの説に対しては否定的な見解が示されている。
守衛屋の裏、参道と御手洗場を結ぶ道にある。 |
守衛屋から少し奥に入った、参道の北側にある。 |
磐座
神宮で祭祀はしていないが、参拝される方がおられるとのこと。昔は7つあったが、現在はこの2つが残っているそうだ。
home 作成:2008.05.18