田守神社【たもり】(三重県伊賀市蔵縄手)

境内入り口

境内入り口




境内入り口




境内入り口



拝殿 拝殿

拝殿




祭神

別雷神【わけいかづちのかみ】
産屋主思命【うぶやぬしおもいのみこと】
誉田別命【ほんだわけのみこと】
建御名方神【たけみなかたのかみ】
事代主神【ことしろぬしのかみ】
火之迦具土神【ほのかぐつちのかみ】
大綿津見神【おおわたつみのかみ】
白山比賣神【しらやまひめのかみ】
宇迦能御魂神【うかのみたまのかみ】
速玉之男命【はやたまのおのみこと】
三筒男命【みつつおのみこと】
六所大神【ろくしょおおかみ】
建速須佐之男命【たけはやすさのおのみこと】
大山祇神【おおやまづみのかみ】
大日[雨/口口口/女]貴神【おおひるめむちのかみ】
五男三女神【ごなんさんじょのかみ】
大物主神【おおものぬしのかみ】
木花咲那媛命【このはなさくやひめのみこと】
市杵島姫命【いちきしまひめのみこと】
本殿

本殿


社伝によると、当地の豪族伊賀氏がその祖神と当地の産土神を合祀奉斎したのが始まりという。のち長元年間(1028年〜1036年)に大字鍛冶屋字吉田井上より現在の鎮座地蔵縄手の長平寺浦山に遷座したと伝えている。延喜式に伊賀郡の小社として田守神社の名が見られる。近世には、古山七郷の惣社として人々の崇敬を集め、雷王、牛頭天王、八幡、熊野権現、恵比寿之宮、筒井権現等の摂社を持ち、十一面観音堂を合わせ持っていた。宮坊は梅母山吉田寺で、江戸時代末まで吉田神社と称されていた。


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写真:2008.09撮影
home  作成:2009.03.04