垂園明神【たれその】(三重県伊賀市市部)

境内入り口
境内入り口
右手の石碑には「史跡 垂園森」と書かれている

祭神:大物主神【おおものぬしのかみ】



不明の祠 掲示板

市指定文化財 史跡
垂園森【たれそのもり】

われならで たれ其森の玉櫻
 たまさかにもや 色にそむべき

と歌った紀貫之をはじめ、西行法師、後鳥羽院、藤原忠家、寂連院法師など多くの歌人がこの森について歌を残している。
 十三世紀前半の順徳天皇歌論書「八雲御抄」や十一世紀頃に書かれたと推定される清少納言の「枕草紙」にも記載が見られる和歌の名所である。
 当時、森は、各地で和歌の題材として多く扱われており、垂園森も和歌の名所たるにふさわしく四方を開かれ、遠くからも望まれる美しい森であったと思われる。
 上野市の歴史を理解するに欠かせない文芸に関する数少ない史跡として価値のあるものである。
 祠には、豊作を祈願し大和の三輪山から勧請した大物主神を祭っている。

   昭和四十六年十二月二十二日指定
   伊賀市教育委員会
右手にも祠がありました。



垂園森

哀園森近辺から見た垂園森
(森というより杜といった感じ)

『伊水温故』には以下のように書かれているそうです。
「古伝二云 此【この】森ノ藤延盛【はびこりさかえ】テ南ヲサシ沖ノ高橋藤サキト云所マデ這【はい】マトヒ枝ヲ垂【たらし】数十町ヲツタイケルニ依テ垂園森ト名付」(朝日新聞伊賀版 柴田弘義著「伊賀の国所どころ 91」を参考とさせて頂きました。)




哀園森
哀園森【あわれそのもり】
左手遠方に見えるのは糠塚
掲示板
市指定文化財 史跡
哀園森【あわれそのもり】

うつせみの かりの此世に住みながら
    なくねそうすきあはれその森
              西行法師

秋過ぎて あはれをもらすあはれその
    森のしぐれを 袖に知るかな
              僧正遍照

 南方約二百メートルの地にある垂園森(たれその森)とともに平安時代以来の和歌の名所であり、ものしずかな様子を後鳥羽院、今川了俊、大納言為■
等数多くの歌人が歌に残している。
 かつては広大な森域を有し、藤の名所であったことからほととぎすを詠んだ歌ものこされている。
 江戸時代に芭蕉の足跡を慕い伊賀を訪れていた九州大村出身の俳人長月庵若翁によって書かれた来由書には、「澄みたる夕景色いかにもあはれにさびしきところなり」と当時の様子が記録されている。
 古来、守護神として神楽神をまつっている。

    昭和四十六年十二月二十二日指定
             伊賀市教育委員会

国道422号線を北上、伊賀鉄道市部駅付近で右折すると、右手の田圃の中に島が3つ浮かんでいるのが見える。一番南にある島が垂園森だ。中に大物主神を祀る祠がある。哀園森では以前神楽神を祀っていたそうだが、現在その痕跡は残っていなかった。糠塚は、円墳のように見えるが、前方後円墳だそうだ。発掘調査で須恵器の高杯等が見つかっている。いずれも耕地化されるなかで、やせ細ったものと思われる。




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home   作成:2007.12.19