天満神社【てんま】(三重県伊賀市高尾字鈴又)

参道入り口

参道入り口
鳥居の額には「天満神社」の文字




登りが続く参道

参道途中に手水屋




階段奥に拝殿

階段奥に拝殿




本殿と奥に摂末社

左手より本殿を見る

御祭神:菅原道真公【すがわらみちざねこう】、建速須佐之男神【たけはやすさのおのかみ】、大山祇神【おおやまつみのかみ】、火之迦具土神【ほのいかづちのかみ】
      (「天満宮を勧請し相殿に神明宮を祀った」とあるが、御祭神に天照大神の記述がない。)

『高尾村天満宮縁起』によると、上高尾の産土神はもと神明宮だったという。平安時代承徳二年(1098年)八月の鈴又川大洪水で神体が流され、下流の今の伊賀市木興【きこ】の村民が拾い上げその地に祀ったのが桶子神社である。(現在も伊賀市木興町に鎮座する。)
後、長田川の水源大山嶽の麓に社地(鈴又地区)を選び、伊賀郡の鎮守神として京都北野から天満宮を勧請し、相殿に神明宮を祀った。明和二年(1765年)に伊賀一郡の助力によって社殿を新造した。その時の棟札には「遷宮当日四十九ヶ村惣社」として四十九の村名が書かれている。

当社氏子圏は高尾字酒屋、上出、奥出、鈴又だが、明治39年7月19日に以下の地区から神社が合祀された。
 酒屋:津島神社、愛宕神社、山神社
 上出:山神社×2、愛宕神社
 津元:山神社
 鈴又:山神社
 奥出:山神社、愛宕神社
 長谷:愛宕神社
同年8月26日、原池にある若宮八幡神社に合祀され、若宮八幡神社は高尾神社に改称された。それを機に村社天満神社は廃社となったが、社地跡はそのまま残された。昭和30年10月、若宮八幡神社から分祀され、旧の姿に復した。
(青山町史)




数種類の碑が並ぶ

山ノ神碑が多いようだ。左から二体目、右手に独鈷の様なものを持ち右脚を上げているが、蔵王権現のポーズとそっくりだ。
スポットライトの様に日の光を浴びている碑は「秋葉」の文字だけがはっきりと解る。




上写真の向かって右手をアップ

上部写真、右端部をアップ
真ん中手前の碑の中央部に「牛頭天王」の文字がある。酒屋地区から合祀された津島神社か?



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写真:2007.08撮影
home   作成:2024.04.30