川上山若宮八幡神社【かわかみさんわかみやはちまん】(三重県津市美杉町)
駐車場から二の鳥居を見る
高宮のある修験業山のいただきはガスで見えない
御手洗場
源流に近く水は冷たく美しい。境内のどこにいても水音が響いている。
外拝殿
神明造の本殿と内拝殿 | 小宮社 |
祭神 大鷦鷯命【おおさざきのみこと】(仁徳天皇) 磐之媛命【いわのひめのみこと】
素戔鳴尊【すさのおのみこと】 誉田別命【ほんだわけのみこと】
境内社
小宮社(祭神:火之迦具土神 他)
不断社(祭神:水分大神 他)
不動社(大山津見大神 他)
高宮(伊勢大國魂神、丹生都比賣神 他)
立石社(天之水分大神 他)
当社創立の年代は詳かではないが、社伝によれば、当地は大和宮廷から伊勢神宮への勅使往来の通路であったが、更に家城から奥の地は岩野郷と称して磐之媛皇后の御領地で、仁徳天皇はこの郷の開拓に努められた。そのため履中天皇の御宇(西暦5世紀初)郷民が仁徳天皇と磐之媛皇后の御遺徳を慕い、伊勢平野を見下ろす修験業山の麓、雲出の川上水源の清地を選んで祠を設け、その二柱の御霊を祀ったのが当若宮八幡宮である。それより以前、太古より、修験業山の自然の磐座である高宮【こうのみや】に鎮座の天津神、国津神八百万神を尊崇してきた。これが当社創立の淵源である。(三重県神社誌による)
みそぎ滝・不断社に至る参道
みそぎ滝 |
不断社
忘れられない神社
学生の頃、友人のバイクの後ろに乗せてもらって日帰りツーリングに行ったことがあります。途中、神社に寄りました。
森の中の社殿、拝殿に至る幅のある石段、小さいが水量のある滝、滝の側に咲いていたまむし草等が、鮮明な映像で記憶に残っています。
しかし、何処にある何という神社なのか認識していなかったので、後年再訪しようと思っても果たせないでおりました。
それが、偶然知る機会を得たのです。「真珠の小箱」という番組を見ていて、石段と拝殿の映像に思わず目をむきました。
その時に、美杉村川上という場所と若宮八幡神社という名前を頭にたたき込んだ次第です。
是非行こうと決めたのですが、参拝するまでけっこう月日が経過しまた。ある休日の午後、「そうだ、若宮八幡神社に行こう。」と思い立ちました。 約30年ぶりの参拝の後、例によって写真撮影。森の中で光量が足りず、撮影には苦労しました。
急に思い立って飛び出してきたので、三脚を持って来なかったのです。あらかた撮影が終わった頃、40歳代位のご夫婦らしき参拝客をお見かけしました。
御主人(らしき人)はちゃんと丈夫そうな三脚を使われていました。で、三脚にとりつけられたカメラは、
『おお、ハッセルブラッド!』
蛇神様を祭った処があったのと、絵馬に蛇の絵が描かれていたのが気になりました。(吉野祐子氏の「蛇」を読み終えた頃でした。) 御朱印を頂いた後、神職の方に絵馬の蛇について聞いてみました。 期待に反し「干支の蛇」というお話でした。これがきっかけで修験道のお話を聞かせて頂くことになりました。 武芸者と修験道との関係等、興味の尽きないお話を長時間色々と聞かせて頂きました。 かなり研究されておられるのでしょう。「山を行けば、吉野はすぐそこですよ。」というお言葉が印象的でした。
後から来られたハッセルブラッド氏と帰りが重なりました。「そのカメラは変わってますね。」とハッセルブラッド氏。
「デジタルカメラなんですよ。ハッセルブラッドをお持ちなんですね。」「まだ持ってきてるんですよ。今日は使わなかったんですが。」
とバックから取り出されたカメラは
『おお、ライカ!』
「ライカですか!高級カメラばかりですね。」
「いえいえ。腕が悪くて。カメラの先生に日の丸写真とよく言われるんですよ。」
ファインダーの中心でピントを合わせるため、どうしても被写体が真ん中に来てしまうのだそうです。
「重軽石(おもかるいし)ためされましたか?」とハッセルブラッド氏。「いえ、気がつきませんでした。」 「神職の人に教えて頂いたのでためしてみたんですが、不思議です!どこかで誰かが盗み見していて、仕掛けられた電磁石を操作してるんじゃないかと思いましたよ。ぜひ試されたらいいですよ。」
横で奥様(らしき人)も頷いてらっしゃる。次回来たとき試してみようと思いながら、やがて駐車場へ到着しました。
『おお、ポルシェ!』
ハッセルブラッド氏の車ではないだろうかという予想は当たっていました。
home 更新:2008.09.06d 作成:2005.05.22