天香山神社【あまのかぐやま】(奈良県橿原市南浦町)

参道入り口

参道入り口
鳥居の額には「天香山神社」の文字




境内入り口

境内入り口
拝殿前、燈籠の間に何か見える。




御饌石?

2019年07月撮影
御饌石?

七年前は注連縄未設置
2012年03月撮影(拝殿を撮った写真をトリミング)

注連縄で囲まれた石があった。(上左の写真)以前参拝した時、有ったのだろうか?
過去の写真をチェックしたら有りました!しかし、アップで撮ってないところをみると、注意を向けなかったと思われる。
御饌石か?と勝手な想像をしてみる。




拝殿より本殿を拝す

拝殿




本殿と摂末社

本殿と摂末社

掲示
御祭神
櫛真神   元名 大麻等地神

 櫛は奇(不思議)真は兆(占い)の古語にて、神武天皇記に、天香山の社が見え創建古し。

末社 春日神社 八幡神社

天香山神社




社殿背後の岩

社殿背後の岩
注連縄は岩を神聖視しているように見えるのだが・・・
だとしたら磐座の可能性が大きいようにも思われる。




波波迦の木

2012年03月撮影
波波迦の木

2019年07月撮影

波波迦【ははか】の木
7年前の写真と比べると感じが違う

掲示
波波迦【ははか】の木

いばら科の木で朱桜(にはざくら)、うはみずざくら、こんごうざくら、かばざくら、等の別名があります。

古事記によれば、この木の皮で香久山の雄鹿の骨を焼いて吉凶を占ったそうです。

平成二年の大嘗祭関連の諸儀で「斉田点定の儀」の亀占に用いるため、波々迦を宮内庁の御下命により奉納致しました。

奈良県橿原市南浦町 天香山神社




天の眞名井

天の眞名井(2012年3月撮影)
掲示によると、皇祖天神十挙の釼を振滌し給いし聖地とのこと。




天香具山

天香具山
絵の仲間Oさんによると、この位置が(香具山が)甘南備型に見えるベストポイントとのこと。(2013年6月撮影)


登山口の掲示

名勝 大和三山 香具山
平成十七年七月十四日 文部科学省指定

 奈良盆地の南部に位置する、香具山【かぐやま】(152.4m)、畝傍山【うねびやま】(199.2m)、耳成山【みみなしやま】(139.7m)の三つの小高い山を総称し、大和三山と呼びます。香具山は桜井市の多武峰【とうのみね】から北西に延びた尾根が浸食により切り離され小丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山は盆地から聳【そび】えるいわゆる死火山です。
 三つの山は古来、有力氏族の祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる地として神聖視され、その山中や麓に天香山神社、畝傍山口神社、耳成山口神社などが祀【まつ】られてきました。また、皇宮造営の好適地ともされ、特に藤原宮の造営に当たっては、東・西・北の三方にそれぞれ香具山・畝傍山・耳成山が位置する立地が、宮都を営むうえでの重要な条件にされたと考えられています。
 大和三山を詠んだ和歌は多く、重要な歌枕として鑑賞上の地位を確立したほか、近世の地誌、案内記、紀行文などでも紹介され、万葉世界を代表する名所として、広く知れわたるようになりました。

 香具山は伊予国風土記逸文に「天から降ってきた」という伝承が残っており、「天【あま】の香具山」とも呼ばれています。万葉集において「天」という美称がつけられた山は香具山だけで、このことから多くの山の中でも特別な位置付けを持っていたと考えられます。


香具山を詠んだ万葉歌

大和には 群山【むらやま】あれど とりよろふ 天の香具山登り立ち 国見をすれば 国原【くにはら】は 煙【けぶり】立つ立つ 海原【うなはら】は 鴎【かまめ】立つ立つ うまし国ぞ 蜻蛉島【あきづしま】 大和の国は
 舒明天皇(巻一-二)

春過ぎて夏来【きた】るらし白栲【しろたえ】の衣乾したり天の香具山
 持統天皇(巻一-二八)

久方【ひさかた】の天の香具山このゆふべ霞【かすみ】たなびく春立つらしも
 柿本人麻呂(巻十-一八一二)


橿原市教育委員会  奈良森林管理事務所
大和三山の地図

登山口の掲示の一部(2012年3月撮影)

天の香具山は「あのかぐやま」だろうか、「あのかぐやま」だろうか、御祭神名にも天がつく神様が沢山おられるが、「あめ」「あま」どちらでお読みしたらよいのかよく悩む。上記「掲示」の中の「香具山を詠んだ万葉歌」の中に、持統天皇の歌「春過ぎて夏来るらし・・・」が出ている。そこで三冊の万葉集の本をあたってみると、すべて「あめのかぐやま」とかながふられていた。実はこの歌百人一首の中にもあって、私は「あまのかぐやま」と覚えていた。で百人一首の本三冊を確認したら、すべて「あまのがくやま」となっていた。そしてその中の一冊に「「天の」とは天上にあったものが降下したという伝説による。上代には「あめ」と読んだ。」と書かれていた。(『解釈と鑑賞 小倉百人一首』 京都書房)「あま」より「あめ」の方が古い読み方のようだ。ただし、当社名に関しては、『日本の神々4 大和』に順じ「あま」としておく。


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写真:2019.07、2013.06、2012.03撮影
home   作成:2019.08.18