国常立神社【あまのかぐやま】(奈良県橿原市南浦町)

参道イコール登山道

参道(=登山道)




神社全体




国常立神社と高オカミ神社の祠

左:国常立神社 右:高オカミ神社

掲示
國常立神社【くにとこたち】
 祭神は國常立命(天地開闢【かいびゃく】とともに現れた国土形成の神)。
 俗に雨の竜王と称され、境内社として高オカミ神(竜王神)を祀る。
(オカミ→雨/口口口/龍)向かって右側神殿の前に壺が埋められており、古来干天の時この神に雨乞いして壺の水をかえたが、まだ降雨のない節はこの社の灯明の火で松明をつくり、村中を火振りして歩いたという。
 末社に伊弉諾神社【いざなぎ】(祭神伊弉諾命)、伊弉冊神社【いざなみ】(祭神伊弉冊命)があり、天香久山の東山麓に鎮座する。

橿原市




狛犬吽形

狛犬吽形
狛犬阿形

狛犬阿形



ベンチで休む蝶 遠くに畝傍山がみえる

ベンチで休む蝶




天の香具山の頂上は、西側の展望が良い。舒明天皇の歌が書かれた展望図があった。

大和【やまと】には 群山【むらやま】あれど とりよろふ 天【あめ】の香具山【かぐやま】 登り立ち 国見【くにみ】をすれば 国原【くにはら】は、煙【けぶり】立ち立つ 海原【うなはら】は鴎【かまめ】立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島【あきづしま】 大和の国は

この歌は、万葉集巻第一の二番目に掲載された歌だ。「高市の岡本の宮に天の下知らしめしし天皇の御代 天皇 香具山に登りて望国【くにみ】したまふ時の御製歌」と題詞にある。


畝傍山と葛城山

畝傍、背後は葛城山
二上山

二上山



登山口の掲示

名勝 大和三山 香具山
平成十七年七月十四日 文部科学省指定

 奈良盆地の南部に位置する、香具山【かぐやま】(152.4m)、畝傍山【うねびやま】(199.2m)、耳成山【みみなしやま】(139.7m)の三つの小高い山を総称し、大和三山と呼びます。香具山は桜井市の多武峰【とうのみね】から北西に延びた尾根が浸食により切り離され小丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山は盆地から聳【そび】えるいわゆる死火山です。
 三つの山は古来、有力氏族の祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる地として神聖視され、その山中や麓に天香山神社、畝傍山口神社、耳成山口神社などが祀【まつ】られてきました。また、皇宮造営の好適地ともされ、特に藤原宮の造営に当たっては、東・西・北の三方にそれぞれ香具山・畝傍山・耳成山が位置する立地が、宮都を営むうえでの重要な条件にされたと考えられています。
 大和三山を詠んだ和歌は多く、重要な歌枕として鑑賞上の地位を確立したほか、近世の地誌、案内記、紀行文などでも紹介され、万葉世界を代表する名所として、広く知れわたるようになりました。

 香具山は伊予国風土記逸文に「天から降ってきた」という伝承が残っており、「天【あま】の香具山」とも呼ばれています。万葉集において「天」という美称がつけられた山は香具山だけで、このことから多くの山の中でも特別な位置付けを持っていたと考えられます。


香具山を詠んだ万葉歌

大和には 群山【むらやま】あれど とりよろふ 天の香具山登り立ち 国見をすれば 国原【くにはら】は 煙【けぶり】立つ立つ 海原【うなはら】は 鴎【かまめ】立つ立つ うまし国ぞ 蜻蛉島【あきづしま】 大和の国は
 舒明天皇(巻一-二)

春過ぎて夏来【きた】るらし白栲【しろたえ】の衣乾したり天の香具山
 持統天皇(巻一-二八)

久方【ひさかた】の天の香具山このゆふべ霞【かすみ】たなびく春立つらしも
 柿本人麻呂(巻十-一八一二)


橿原市教育委員会  奈良森林管理事務所
大和三山の地図

登山口の掲示の一部

天の香具山は「あのかぐやま」だろうか、「あのかぐやま」だろうか、御祭神名にも天がつく神様が沢山おられるが、「あめ」「あま」どちらでお読みしたらよいのかよく悩む。「香具山を詠んだ万葉歌」の中に、持統天皇の歌「春過ぎて夏来るらし・・・」が出ている。そこで三冊の万葉集の本をあたってみると、すべて「あめのかぐやま」とかながふられていた。実はこの歌百人一首の中にもあって、私は「あまのかぐやま」と覚えていた。で百人一首の本三冊を確認したら、すべて「あまのがくやま」となっていた。そしてその中の一冊に「「天の」とは天上にあったものが降下したという伝説による。上代には「あめ」と読んだ。」と書かれていた。(『解釈と鑑賞 小倉百人一首』 京都書房)「あま」より「あめ」の方が古い読み方のようだ。



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写真:2019.07、2013.03撮影
home   作成:2020.01.08