葛木坐火雷神社【かつらきにいますほのいかづち】(奈良県葛城市笛吹)

境内案内図

境内案内図

掲示の左側に書かれていた文章
笛吹神社 氏子地域と氏子枝宮(鎮守社)
葛城市笛吹(本社鎮座地) 葛城市梅室(梅室神社) 葛城市忍海・南新町(角刺神社) 葛城市新町(笛吹若宮神社・金刀比羅宮) 葛城市西辻(西辻神社) 葛城市薑(笛吹若宮神社・春日神社) 葛城市林堂(爲志神社) 葛城市平岡(嚴島神社) 葛城市南花内(笛吹若宮神社・嚴島神社) 葛城市山口(末稲荷神社) 葛城市山田(三神社) 葛城市脇田(脇田神社) 御所市東辻(熊野神社)

「枝宮」という言葉をこの掲示で始めて知った。ネットの「コトバク」には大辞林第三版の解説として「末社に同じ。」とある。境外末社というこだろうか。




境内入り口

境内入り口




摂末社

熊野神社   稲荷神社   春日神社
手前の注連縄が巻かれた岩は、案内図からすると御百度石のようだ




石段と灯籠

階段を登ると大砲のある広い境内に至る




拝殿を望む

中央右上に拝殿 写真を撮る私の背後に大砲がある




拝殿

拝殿




本殿

神明造の本殿
古墳

笛吹神社古墳(円墳)
本殿の左隣にある。

掲示
葛木火雷神社御由緒略記
南葛城郡忍海村笛吹字神山鎮座

一、祭神 火雷神
【ほのいかづちのかみ】及笛吹連の祖天香山命【あめのかぐやまのみこと】の二座なり
一、配祀神、高皇山霊神【たかみむすびのかみ】 大日霊貴尊【おおひるめむちのみこと】 瓊々杵尊【ににぎのみこと】 伊古比都幣命【いこひつべのみこと】

當神社は元火雷神社と笛吹神社の二社なりしを、延喜帝以前に合祀せられたり上古以来朝廷大事をと定せらる毎に笛吹神社より波波迦木
【ははかのき】を進献するを例とせり
火雷神
【ほのいかづちのかみ】は火産霊神【ほむすびのかみ】とも火之迦具土神【ひのかぐつちのかみ】とも申し奉り火を主宰し給ふ神にして此大神は宮中大膳職及伊勢神宮斎宮の菓餅所にて奉斎せらる御同神にして菓祖の大御神なり 天香山命【あめのかぐやまのみこと】は石凝姥命とも申し奉り天照皇大神天岩屋戸に籠り坐せる時天香山の天波々迦木又竹を切り取り笛を造り吹鳴し亦金を掘り八咫鏡を鋳造し皇祖に奉り大御心を慰め奉りし神に坐して音楽及鉄工業の祖神にして此の御鏡を伊勢神宮の御神体と奉仰るものなり 高皇産霊神【たかみむすびのかみ】 大日霊貴尊【おおひるめむちのみこと】 瓊々杵尊【ににぎのみこと】は皆皇祖の大神に坐し伊古比都幣命【いこひつべのみこと】は御食都神にて所謂【いわゆる】衣食住の神なり
御鎮座は神代と云ひ神武天皇の御代と謂
【い】うと雖【いえど】も詳ならず社家持田家の家譜に崇神天皇の御代十年建埴安彦【たけはにやすひこ】兵を挙げて帝都を襲はんとす仍て大彦命は笛吹連櫂子【かじし】等を率ひ、奈良山に於て安彦の軍と戦ひて和韓川【わからがわ】の南に於て櫂子の射放ちたる矢は安彦の胸を射貫き之を斃す 故に賊軍降て平定す依て櫂子の戦功を賞して天磐笛及び笛吹連姓を給ふ其の夜天皇の御夢に此の磐笛を以て瓊々杵尊の神霊を祭れば国家安寧ならんことにより當社の相殿に奉祀せられたると有れば崇神天皇御宇以前の古社にして地誌其の他の古書に笛吹神社とあるは所謂是也
皇室の御尊崇最も厚かりし官弊大社にして延喜式に名神大月次相嘗新嘗と載せられ毎年数度の案上官弊に預り給ひし神社にして卜事に用ふる波々迦木を奉る等皇室との関係も亦深かりし事を拝察し奉り得るなり

祈年祭 二月十一日 後例祭 十月二十五日 新嘗祭 十二月六日
鎮花祭 四月十九日 夏越祭 七月十七日 鎮火祭 十一月十五日
大正二年拾月
奈良縣

(カタカナで書かれていた原文をひらがなに直しました。)




摂末社

左から、森本神社・浅間神社・空室神社




餅撒き

餅撒き(2000年2月、拝殿のある敷地から撮影)
手前の木の影に大砲の一部が見える。日露戦争当時のロシア製の大砲のようだ。




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写真:2000.02、2013.05撮影
home   作成:2017.08.02