八幡神社【はちまん】(奈良市東九条町)
元石清水八幡宮

参道入り口の一の鳥居

参道入り口 一の鳥居




二の鳥居

二の鳥居




一の鳥居を振りかえる

一の鳥居を振りかえる




楼門

楼門




中門

中門


境内掲示

奈良市指定文化財
八幡神社中門
一棟 付 翼廊二棟
室町時代

八幡神社は大同二年(八0七)大安寺の僧、行教が宇佐八幡を遷し大安寺の鎮守としたことに始まると伝え、中門は室町時代に建てられたものが江戸時代初めに大きく改造され現在の姿になったものとみられ、翼廊【よくろう】も本来は中門に接続していたものである。中門の柱や組物には当初材が残り、木鼻【きばな】などにも古式を伝え、中世の神社四脚門【よつあしもん/しきゃくもん】の遺例として貴重である。

平成六年三月二日指定
奈良市教育委員会



本殿

本殿
大和國添上郡大安寺伽藍絵図

大和國添上郡大安寺伽藍絵図

『大安寺八幡宮御鎮座記』によると、大同二年(807年)大安寺の僧行教和尚が入唐して帰朝の途次、豊前国宇佐八幡に参籠、神影に供奉して大安寺東室第七院石清水坊に鎮座し奉り、後新殿へ奉遷、石清水八幡宮と称して大安寺の鎮守とした。貞観元年(859年)行教和尚は神宣によって山城国男山へ遷座、その跡地に奉祀したのが当社だという。中世には辰市四郷の鎮守として、辰市神社とともに崇敬された。(奈良県史5 神社)




御祭神
仲哀天皇【ちゅうあいてんのう】
応神天皇【おうじんてんのう】
神功皇后【じんぐうこうごう】

仲哀天皇と神功皇后は夫婦で、応神天皇はその子供。
本殿に寄り添うように建つ竹内神社(写真右)の御祭神は武内宿禰命です。


古事記には、以下の様な記述があります。

仲哀天皇が、筑紫にあって熊曾【くまそ】を討たんとしたとき、
天皇が、(神を降ろすための呪器としての)琴を弾き、神功皇后が(神の依代としての巫女【ふじょ】となり)神懸かりして託宣を述べ、武内宿禰が(審神者【さにわ】として)皇后の言葉を聞いて神意を解釈したという。
仲哀天皇は「新羅を与える」という神託を信じず、琴を弾くのをやめた。神の怒りの言葉を聞いた武内宿禰は、天皇に琴を弾くよう進言した。天皇がいいかげんに琴を弾いてたら、やがて琴の音が途絶えた。(浄闇【じょうあん】の中で神託を受けていたため見えないので)火をともしてみると、天皇は亡くなっていたという。

神罰で天皇が亡くなったので、大祓【おおはらえ】が行われた。さらに武内宿禰が審神者【さにわ】となって神託を聞くと、神功皇后のお腹の中にいる子が、この国の領有支配者であるという。のちの応神天皇である。
竹内神社

竹内神社



境内社

本殿裏にある境内社
稲荷神社(写真最奥)、金刀比羅神社、宮玉神社、春日神社(写真右端)等の境内社が鎮座する




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home   作成:2013.10.25