氷室神社【ひむろ】(奈良市春日野町)
(2005年4月9日撮影)
猿沢池の近くに車を止めて、春日大社の一の鳥居をくぐり奈良公園を横切って、向かった先は手向山八幡宮。
帰りは登大路を西に歩いて、鳥居が目に付いた。2001年10月、氷室神社との出会いでありました。
『元要記』や社伝によると、平城遷都に伴い氷室を春日の三笠山山麓の吉城【よしき】川上に作り、和銅三年(710年)七月二十二日、氷室明神を三笠山の下津岩根【しもついわね】宮に祀ったという。『元要記」』によれば、貞観二年(860年)二月一日、瑞相によって三所の宮柱を鎮座し、建保五年(1217年)十一月一日宮柱を造営、現在地へ遷宮した。
四脚門と、大和で一番早く咲くと言われる枝垂れ桜。(2009年3月23日撮影)
境内東側より(2009年3月23日撮影)
もう少し大きな写真はこちら
境内掲示
氷室神社のしだれ桜について
氷室神社の主祭神は、闘鶏稲置大山主命【つげのいなぎおおやまぬしのみこと】と申し上げる奈良の東山一帯の山の神でございます。まさにこの桜は山の神様からの春を告げるしるべでございます。稲作農耕を主体とする暮らしにおいては、種まきの時期を知らせる花樹をサクラつまり、「サの神=稲魂【いなだま】」の依代【よりしろ】として大事なものでした。お花見の伝統の背景にはこうした基層文化があり、春を待ちわびる人々の心を揺り動かすものと思われます。
この花見にあたあり、氷室神社に参拝しこうした伝統に思いを馳せて諸願の成就をお祈りください。
(以下一部略)
氷室神社社務所
樹齢 百年あまり
樹種 エドヒガン系里桜(春日野の在来種)
通称 「奈良一番桜」
拝殿・舞殿より本殿を拝す |
境内掲示 奈良市指定文化財 氷室神社舞殿【ぶでん】(拝殿) 一棟 平成十三年三月一日指定 桁行【けたゆき】二間 梁間【はりま】一間 江戸時代 氷室神社は江戸時代に朝廷や幕府の行事に参勤した三方楽所【さんぼうがくしょ】のひとつ南都方の楽人が拠点とした神社で、神主も楽人が勤めていました。ここでは楽人による舞楽【ぶがく】奉納を中心とする祭りが行われてきました。 この拝殿は舞楽を上演するための舞台で表門両側の東西廊を楽所にして左方【さほう】と右方【うほう】の舞人がでて拝殿で舞いを行いました。建築年代は明らかではありませんが少なくとも一八世紀には現況のような建物が建てられていたと考えられます。 古来、雅楽の中心地のひとつであった奈良に残る舞楽上演のための舞台として貴重なものです。 奈良市教育委員会 |
瑞垣
本殿(三間社流造) 手前は末社舞光社
祭神
本殿中央:闘鶏稲置大山主命【つげのいなぎおおやまぬしのみこと】
本殿左 :大鷦鷯命【おおさざきのみこと】(仁徳天皇)
本殿右 :額田大中彦命【ぬかたおおなかつひこのみこと】
末社:狛光高公(南都舞楽の楽祖)
鏡池 (2005年4月9日撮影)
home 作成:2010.06.19