天乃石立神社【あめのいわたて】(奈良県奈良市柳生町)

参道入り口

参道入り口
鳥居の額には「天石立神社」、鳥居右手の標識には、「天乃石立神社」とある。




御神体

参道を進むといきなり巨大な岩が目に飛び込んでくる。
これが天乃石立神社の御神体だ。本殿は無い。




御神体

大きいだけではなく、形もすごい。ななめに立っているというより、地面に突き刺さした感じだ。天の岩戸の一片が空を飛んで落下したという伝説があるそうだが、なるほどと思う。
御神体

横から見たところ。向かって左が前立磐と呼ばれ、高さ約6m、幅約7.3m、厚さ約1.2mあるという。向かって右は後立磐と呼ばれている。



前伏磐と前立磐



前伏磐と前立磐

左手前三角スケールのような形の前伏磐と右奥の前立磐




御神体三座

御神体三座(向かって左:前伏磐、中央:前立磐、右:後立磐)
『日本の神々 4』には「御神体は花崗岩の巨巖である。それは三つに見事に割れ・・・」と書かれている。
前伏磐だけ少し離れているが元は一つの岩だったことになる。




前伏磐ときんちゃく岩

前伏磐の後ろにに見えるのが拝殿、その横の巨大な岩は「きんちゃく岩」で、天照大御神の御神体とされる。
この巨大な御神体が降臨されたのは、昭和に入ってからのこと。戸岩山から転がり落ちたという。




拝殿ときんちゃく岩

拝殿、左にある巨岩がきんちゃく岩
天乃石立神社の場合、参道を進むと最初に御神体が現れ、最後に拝殿に到達する。
あの御神体を目にした瞬間、思わずバックからカメラを取り出し、シャッターを押していたのでした。
天乃石立神社は、吸引力のすさまじい空間だ。




拝殿の掲示

拝殿の掲示
拝殿から見ると、手前が前伏磐、すこし隙間が空いて前立磐、最奥が後立磐となる。
イラストでは、拝殿ときんちゃく岩が実際以上に離れて見える。




境内掲示

天の石立神社
ここは柳生家の修練の場といわれています。この谷には、巨岩が重塁しており、前伏磐、前立磐、後立磐からなる巨岩を天の石立神社の御神体として祀っています。延喜式神名帳にも記されている式内社で、手力男之命が開いたという天の岩戸の扉が空を飛んでここに落ちたという伝説がある自然信仰の貴重な神社です。

式内天乃石立神社
柳生戸岩谷の天乃石立神社は、延喜式神名帳に記載されている式内社である。延喜式は一千年前延長年間に撰せられたもので、その神名帳には、全国の官国弊社二一三二座を記載しているが、戸岩谷の天乃石立神社も、小社としてその中に加わっている。
天乃石立神社の祭神は、天照大御神、豊盤門戸命、櫛盤門戸命、天盤戸別命となっているが、神体は扉の方をした巨岩(花崗岩)、前伏盤、前立盤、後立盤の三つに割れている。前立盤は高さ六メートル、幅七・三メートル厚さ一・二メートルあって、全体が扉の形をしている。
伝説によると、神代の昔、高天原で手力雄命が天岩戸を引き空けたとき、力余ってその扉石が、虚空を飛来し、この地に落ちたのだという。虚岩崇拝の好適例で、古来土地の人達の信仰は深く強いものがあった。正保二年(一六四五)但馬守宗矩は、参道を修理して並木を植えているし、宝永二年(一七0五)柳生宗弘(のちの藩主俊方)は、能舞台を建て石燈籠を寄進し、寛保二年(一七四二)藩主俊平も、石燈籠を寄進している。

御神体

参道の反対側から御神体を見る




前立磐

前立磐


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home    作成:2009.05.23