春日大社【かすがたいしゃ】(奈良市春日野町)
一の鳥居
鳥居横の掲示
重要文化財
一の鳥居【いちのとりい】 一棟
平安時代 創建
平安初期の創建と伝え、康平六年(1063)の記録に初見する。
現在の形式は明神形で桶側式に檜厚板十六枚を張り立てて円柱としている。
春日大社
「♪春日山から飛火野辺り♪」 さだまさしさんの「まほろば」を頭の中で唄っていた。
飛火野は「とびひの」と読むらしいが、古くは「とぶひの」「春日野」と言ったそうだ。
「まほろば」では「とぶひの」と歌っている。
御祭神が鹿島からこの地に到着されたとき、日も暮れていた。お供の八代命【やしろのみこと】が口から火を吹いて明かりとされた。
その火は移動とともに飛び回ったので飛火野となったと伝えられる。
一の鳥居をくぐり表参道を歩くと、物理的距離はたしかに長い。
が、目に入るものを楽しんでいる間に、社殿に着いてしまう。
現境内はおよそ三十万坪あるという。明治維新前は三百万坪以上あったそうだ。
二の鳥居
二の鳥居をくぐり石段を登ると、左手に祓戸神社【はらえど】がある。
ここから道は二つに分かれ、広い道を直進すると南門に至る。剣先道といわれるやや細い道を左にとると慶賀門に至る。
二の鳥居を真っ直ぐ進む。この辺りは燈籠も密度が高い。
境内には三千基の燈籠があるという。
左手に榎本神社の鳥居が見える。
南門 |
1985年頃の南門 右下に、垣に囲まれた出現石(磐座)が写っていますが、撮影当時、私の網膜には磐座が写っていたかどうか・・・ |
出現石に関する境内掲示
この石は、太古の昔、神様の憑代として祀られた「磐座」【いわくら】或いは赤童子【あかどうじ】(春日若宮御祭神)がこのところより現れたと言われる「出現石」【しゅつげんせき】また宝亀三年(772)の雷火で落下した社額を埋納したと伝えられる「額塚」【がくづか】等諸説のある神石です。
林檎の庭。高倉天皇お手植えの林檎の木が、拝殿・舞殿近くにあることからそう呼ばれる。
春日祭、御田植祭等が行われる斎庭【ゆにわ】だ。
巨木は、樹齢800年〜1000年といわれる杉。
根本から斜めに伸びているのは杉ではなく槙柏【しんぱく】だそうです。
中門
背後に春日造の本殿が、向かって右から第一殿、第二殿・・・と四つ並ぶ。
祭神
第一殿 武甕槌命【たけみかづちのみこと】
第二殿 経津主命【ふつぬしのみこと】
第三殿 天児屋根命【あめのこやねのみこと】
第四殿 比売神【ひめがみ】
祓戸神社から剣先道を行く
藤の鳥居
慶賀門
慶賀門の左手に清浄門、内司門と三つの門が南北に並ぶ。
藤棚の奥に見えるのは、位置的に御蓋山だと思うのだが・・・
境内掲示
重要文化財
慶賀門【けいがもん】 一棟
清浄門【せいじょうもん】 一棟
内侍門【ないしもん】 一棟
治承三年(1179)創建
三門ともほぼ同じ規模であるが、慶賀門は藤原氏一門、清浄門(僧正門とも呼ばれる)は僧侶、内侍門は内侍の参入口として用いられてきた。中でも慶賀門は天井に格組天井を張り、他の二門よりも立派な構造になっている。
春日大社
慶賀門より砂ずりの藤(2003年4月27日撮影)
咲き出した頃だったので、房は伸びていない。
home 更新:2013.01.10 作成:2012.10.12