奈良町庚申堂【ならまちこうしんどう】(奈良市西新屋町)

奈良町の庚申堂

奈良町の庚申堂

軒下の提灯には、中央は「庚申さん」、その左右に「青面金剛」、さらにその左右に「吉祥天女」、両端は「地蔵菩薩」と書かれている。奈良市史社寺編によると、堂の内部は外陣が畳敷きで、内陣の壇には厨子が三基ある。中央は、木造彩色の青面金剛像、左右に木造彩色吉祥天立像と地蔵菩薩をまつっている。仏教系の庚申さんであるが、『日本の神様読み解き事典』(柏書房)には「庚申 身体の守護神」として解説されています。




奈良町庚申堂の見猿 奈良町庚申堂の言わ猿 奈良町庚申堂の聞か猿

棟の上に、見猿・聞か猿・言わ猿【みざる・いわざる・きかざる】が並んでいる。
『論語』に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)という一節があるそうだ。(Wikipedia)
「見ざる・聞かざる・言わざる」だけだと、なんだか事なかれ主義のように感じるが。




軒左手の猿 軒右手の猿

軒の両端にも二匹の猿が・・・
左のお猿さんにはオッパイがある。足元にじゃれる二匹の小猿の母親に違いない。
右のお猿は両手を合わせお経を唱えているように見えるのだが、脇に挟んでいるのは釣り竿か?それなら、どうか釣れますようにと祈っている?



軒下のくくり猿

軒下に沢山のくくり猿

掲示
「三尸【さんし】の虫【むし】」退治
 悪病や災難を持ってくるという「三尸の虫」は、コンニャクが嫌いだったので、人々は、庚申の日にコンニャクを喰べて退治した。
 「三尸の虫」は、もう一つ猿が大嫌いだった。
 猿が仲間と毛づくろいをしている姿は、まるで「三尸の虫」を取って喰べているような恰好に見えたので「三尸の虫」は恐れをなして逃げてしまったと言う。
 そこで人々は、いつも家の軒先に猿を吊るして悪病や災難が近寄らないように、おまじないをしているのです。
(奈良町の伝説より)

掲示
「奈良町庚申【こうしん】」さんの由来
 庚申縁起によれば、文武天皇の御代(700年)に疫病が流行し、人々が苦しんでいたとき、元興寺【がんこうじ】の高僧護命【ごみょう】僧正が仏様にその加護を祈っていると、一月七日に至り、青面【しょうめん】金剛が現れ、「汝の至誠に感じ悪病を払ってやる」と言って消え去ったあと、間もなく悪病がおさまった。
 この感得の日が「庚申の年」の「庚申の月」そして「庚申の日」であったと言う。それ以来、人々は、この地に青面金剛を祀り悪病を持ってくると言われる「三尸【さんし】の虫【むし】を退治して健康に暮らすことを念じて講をつくり仏様の供養をしたと、この地に伝えられている。




巨大くくり猿

(こちらは、奈良市の奈良町にあった巨大くくり猿)




庚申思想
十干【じっかん】と十二支を組み合わせた暦法(六十干支、十干十二支、六十花甲子などと言われているようです)の60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、三尸【さんし】という虫が睡眠中に身体から抜け出て天帝にその罪過を報じ、罪過の軽重によって生命を天帝により短縮される(道教の説)という信仰がある。だから、庚申の夜は眠らずに(眠らないと三尸が身体から抜け出せない)慎む。これを庚申待【こうしんまち】という。三尸の虫とは上尸・中尸・下尸をいう。上尸は人の頭におり、眼を暗くし面皴をたたみ、髪の色を白くするという。中尸は腸【はらわた】のなかにいて、五臓を損なって悪夢を見させ飲食を好むという。下尸は足にいて、命を奪い精を悩ますという。庚申の日に徹夜して三尸の名を唱えれば、禍を変じて福となすことができるとされている。この中国の風習は、中世のころ日本に伝わり、貴族社会で強く信仰された。
菅原道真(837〜903)の『菅家文集』【かんけもんじゅう】の中に「守庚申」【まもりこうしん】の詩があるという。その中に三尸【さんし】の語が使用されている。
『日本紀略』【にほんきりゃく】後編の朱雀天皇、天慶【てんぎょう】二年(939)八月二十二日庚申の条に「内裏に庚申の御遊びあり、侍臣は和歌を献ず」とある。
『本朝文粋』【ほんちょうもんずい】巻十一にある、村上天皇(947〜967)に仕えて図書頭【ずしょのかみ】となった藤原篤成の「冬夜に庚申を守り、同じく修竹冬青しというを賦し、教に応ず」と題する詩に「それ庚申を守るというは、玄元聖祖の微言なり。世、その余波を掲げ、人、その遺跡を伝う。或は此の夜に至り、眠らずして明に達す」とある。
庚申待【こうしんまち】は平安時代から鎌倉時代までは、もっぱら貴族社会のなかだけで行われていたが、中世末からしだいに庶民の間に浸透し、江戸時代には全国的に広まっていった。庚申待の供養塔を建てることは室町時代末期から流行し始め全国津々浦々にまで建てられるようになる。
(以上は『図説民俗探訪事典』山川出版社、『日本の神様読み解き事典』柏書房、『道教』第三巻「道教の伝来」平川出版社による。)


十干十二支(国立天文台暦計算室用語解説による)
十干:甲【コウ・きのえ】、乙【オツ・きのと】、丙【ヘイひのえ】、丁【テイ・ひのと】、戊【ボ・つちのえ】、己【キ・つちのと】、庚【コウ・かのえ】、辛【シン・かのと】、壬【ジン・みずのえ】、癸【キ・みずのと】
十二支:子【シ・ね】、丑【チュウ・うし】、寅【イン・とら】、卯【ボウ・う】、辰【シン・たつ】、巳【シ・み】、午【ゴ・うま】、未【ビ・ひつじ】、申【シン・さる】酉【ユウ・とり】、戌【ジュツ・いぬ】、亥【ガイ・い】

十干十二支表

「きのえ」とか「みずのと」とかは、十干と、陰陽二気から生じた五気(土気・木気・火気・金気・水気)が結びついたものである。
さらに五気はそれぞれ兄【え】と弟【と】の陰陽に分かれる。
生まれてから60年(十と十二の最小公倍数)を経て、生年の干支を迎えるのを還暦とする。
六十の干支の組み合わせを一巡することは、一つの人生を生き切ったことを意味し、新たに次の人生に誕生するというわけで、
赤子と同様に赤い頭巾・赤いちゃんちゃんこを着用する風習がある。(『十二支』吉野裕子著 人文書院による)


一般に「庚申さん」と呼ばれているのは、守庚申【しゅこうしん】(のちに庚申待【こうしんまち】とよばれる)が神格化したものです。道教の庚申信仰が日本で、仏教においては密教の奉ずる青面金剛と習合し、神道においては猿田彦命(庚申の申と猿のつながりから?)・道祖神・塞ノ神と習合している。また三尸虫【さんしちゅう】が罪過を報告にいく道教の天帝は、仏教では帝釈天に仮借し、帝釈天の神使は猿、庚申の申をさると読むことから、三猿が結びついたようです。



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写真:2012.10撮影
home   更新:− 作成:2020.06.07