尾山天神神社【おやまてんじん】(奈良市月ヶ瀬尾山)

境内

境内
背後の柵からは、美しい風景を見渡せる。(ページ最下段の写真参照)




鳥居・拝殿・本殿

鳥居右にある碑文
尾山天神々社と月ヶ瀬梅林の由来
元久二年当天神社産土神として真福寺境内に創祀され明治十七年絶景の此の地に移祀された
元弘元年後醍醐天皇笠置落城の折その女官姫若(別名園生)は尾山に逃れ来行倒れ村人手厚く介抱しお護りす
姫は天神社周辺の梅花を見て烏梅の製法を教え村人競って梅を植え村人の財を潤す即ち月ヶ瀬梅林の起源である
その後姫若没するも梅に縁ある当天神々社に合祀す
現在厄除、入学祈願、家内安全月ヶ瀬梅林の守護神として深く信仰され、地元惣代に依り護持されている




本殿

本殿
御祭神:菅原道真公【すがわらみちざねこう】




境内社

碑文にあった「その後姫若没するも梅に縁ある当天神々社に合祀す」の姫若をお祀りする祠だろうか?
右手は手水舎。水口のかえるさんが見えます。(「おみくじ」と書かれた箱の上部)背中に小さなかえるが乗ってます。




境内背後の風景

境内背後から見た風景

名勝月ヶ瀬梅林
元久二年(1205)に菅原道真を産土神【うぶすなかみ】として真福寺境内に祭祀し、梅樹を植えて心霊を慰めたのが始まりである。江戸時代には、紅染の原料「烏梅【うばい】」が、京の都へとぶように売れたので、村人は梅樹を競って栽植した。文政年間斉藤拙堂の「梅渓遊記」で紹介され、頼山陽をして「非観和州香世界、人生可可説梅花」と嘆賞せしめたように梅花の里と化し、奇岩、怪岩や山領重畳として、渓流に迫る絶景となった。以来数多くの文人墨客の来訪するところとなり、明治に入って益々天下にその名勝をしられるに至った。
現在新しい月ヶ瀬湖を中心に早春の梅花と共に四季を通じその自然景観は、人々に心の安らぎを与えている。大正十二年十一月七日 名勝に指定された。
 月ヶ瀬村教育委員会

Fさんと二人で月ヶ瀬梅林を堪能した。過去に二度ほど梅のシーズンに訪問したが、それはほんの表面をかじっただけだったことを思い知った。売店のある細い道を歩いていて、上記「名勝月ヶ瀬梅林」の掲示を見た。真福寺に天満宮をお祀りしたことが広大な梅林を造るきっかけになった事が書かれており、興味深かった。真福寺に行ったが、境内に神社らしきものは無かった。ウォーキングマップを見ると天神神社が記載されている。少し離れているが行くことにした。天神神社の石碑に真福寺からこの地に移祀されたことが書かれており、確証を得る。烏梅【うばい】の製法を村人に教えた女官姫若の伝説も、姫若が亡くなった後当神社に合祀されたとのことから、本当にあった出来事と認識した。



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写真:2021.03撮影
home   作成:2021.03.16