狭岡神社【さおか】(奈良市法蓮町)

境内入り口の鳥居 境内入り口の鳥居その2

参道入り口の鳥居
二つ目の鳥居をくぐると参道は上り坂となる




鏡池 参道を登り始めて左手にある『狭穂姫伝承の鏡池』

掲示
狭穂姫伝承の鏡池(姿見池)
鏡池(姿見池)と名付けられたのは沙本昆売(狭穂姫)がその美しい姿をこの佐保の池にうつしたとの謂れによります。水脈の変化により濁水しましたので平成十七年五月保水工事を致しました。



狭穂姫伝承地の碑 『狭穂姫伝承地』碑

掲示
狭穂姫伝承地
沙本昆売【さほひめ】(狭穂姫)は開化天皇の孫で垂仁天皇の皇后でした。兄 沙本昆古【さほひこ】はこの佐保一帯の王でありました。不幸にも夫と兄の政争にまきこまれ亡くなりました。
(古事記による)



万葉歌碑

万葉歌碑掲示
君に恋ひいたもすべなみ奈良山の 小松が下に立ち嘆くかも
万葉集巻四五九三笠女郎【かさのいらつめ】
天平時代笠氏一族の娘はあなた恋しさの思いをどうすることもできず美しい松の木の下で只ただあなたを待ちつつ、苦しい思いをしているのですと訴えます。君は大伴家持彼の住む佐保のあたりを思いつつ歌ったのでしょうがこの恋は悲恋に終わったようです。

君とは大伴家持、奈良山に家持の邸宅があったそうだ。




天神社と書かれた燈籠 天満宮碑
左:参道の燈籠    右:天満宮碑
燈籠の『天神社』の文字は、天照大神の系統の神々をお祀りするとう意味だそうです。(掲示) 
天満天神の天神では無いようだ。天満宮から移した燈籠ではないということです。

天満宮碑の掲示
「天満宮」この標石は昭和二十年代まで一条通り添いに有りました。道路拡幅の為移転しました。右肩に「北へ三丁天神社内」とあります。佐保田庄引付(天理図書館蔵保井文庫)の古書に「永享七年(1435)に天満宮遷宮」と有り現在本殿東側末社に併祠されています。



拝殿と本殿

本殿を拝す

祭神
若山咋神【わかやましひのかみ】
若年神【わかとしのかみ】
妹若沙那賣神【いもわかさなめのかみ】
彌豆麻岐神【みずまきのかみ】
夏高津日神【なつたかつひのかみ】
秋毘賣神【あきびめのかみ】
久久年神【くくとしのかみ】
久久紀若室葛根神【くくきわかむろつなねのかみ】

参道入り口の鳥居の脇に御祭神名が掲示されていたが、おそらく初めて目にするお名前だった。
調べてみると、
若山咋神は、お馴染みの大山咋神【おおやまくいのかみ】の甥で山から下りてきたきた田の神。山咋は山杙で山の境界をなす棒杙の神格化。
若年神は、お馴染みの大歳神【おおとしのかみ】の孫で稲の苗が生まれる事の表象。
妹若沙那賣神は、若い神稲(神稲を【さ】と読むそうだ)に仕える巫女【ふじょ】。
彌豆麻岐神は、田に水を引く意で灌漑を表象する神。
夏高津日神は、夏に高く照らす太陽で、日照に恵まれて稲が生育することの表象。
秋毘賣神は、稲を収穫する秋のおとずれを表象。
久久年神は、稲の茎がしゃんと立っていることの表象。
久久紀若室葛根神は、茎がしゃんとした木を縄で結び固めて造った新嘗祭用の新室の神格化。
(新潮日本古典集成『古事記』による)




本殿

本殿




本殿と末社

本殿は春日造で、左右に末社がある
狭岡神社祭神系統図

境内掲示、狭岡神社祭神系統図

狭岡神社末社
右(東):天照大神、伊那諾大神、八幡大神、住吉大神、春日大神、天満大神
左(西):事代主神、地主之神、金山彦神
(境内掲示による)




山の神か? 燈籠背後木の根元の鳥居が気にかかった。ひょっとして山ノ神では?と思った。



掲示によると当社は、霊亀二年(715)藤原不比等が招幣建立したという。

2015年、万葉の会で訪問したのが初めてでした。そのときはゆっくり写真を撮ることが出来なかったので、再訪致しました。11月の日曜日、武漢ウイルスの影響で少ない人出を期待したのに、奈良駅はすごい人人人・・・。(家を出るのが遅かったようだ。)駅前のコンビニで昼飯のおにぎりを買うのにも長蛇の列。しかし、佐保の辺りは静かで、のんびりとした時間が流れていました。



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写真:2015.06、2020.11撮影
home   更新:− 作成:2020.12.13