推古天皇社【すいこてんのうしゃ】(奈良市大安寺町)
当社に初めて参拝したのは2013年10月だった。万葉の会でJR京終駅から近鉄九条駅まで歩いたのだが、一番目の目的地が大安寺だった。本堂で御住職から話をうかがったが、「隠れ古寺と紹介されることがあるが当方としては隠れているつもりはないんですけど。」というようなことを言われた。そのことだけが今でも記憶に残っている。(万葉の会の資料によると、奈良時代を中心に、当社は興福寺をもしのぐ勢いがあったという。)大安寺さんの境内をお借りして昼食をとった。食事も早々に休憩時間を利用して、私とOさんは杉山古墳に向かった。その途中というか大安寺の東側、小道を挟んだすぐ傍に推古天皇社があったのだ。
境内入り口
推古天皇をお祀りする神社が珍しく、強く印象に残りました。再度参拝しなければと思いつつ7年近く経過した2020年3月、ゆっくりとお参り致しました。
本殿
掲示
推古天皇社
御祭神は、第二十九代欽明天皇の皇女であって、十八歳にて第三十代敏達天皇の皇后となられた。皇后は眉目秀麗な美人だったと伝えられている。
第三十二代崇峻天皇崩御の後、皇位を巡って、さまざまの動きがあって、日本における最初の女帝となられ、聡明な聖徳太子に摂政を委ねられて、政治は国家意識を高揚し理想社会を求める事であった。
記
第三十三代推古天皇
御 名 豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)
御 父 欽明天皇
御 母 蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ)
在 位 西暦五九三年〜六二八年(三十六年)
生誕・崩御 西暦五五四年〜六二八年(御年七十五歳)
平成十二年七月七日
大安寺町評議員会
昔、聖徳太子が主人公のドラマがあった。聖徳太子は本木雅弘さん、蘇我馬子は緒形拳さんが演じていた。そして推古天皇を演じたのが松坂慶子さんだった。 柄本明さん演じる穴穂部皇子が、敏達【びだつ】天皇の殯宮にいる炊屋姫(敏達の皇后、のちの推古天皇)を襲おうとした場面があった。このことは『日本書紀』の用明天皇紀に記述がある。「皇后は眉目秀麗な美人だった」という掲示の文章は、信憑性があると私は思う。
金毘羅権現社 |
金毘羅さんは水の神ということで、蛇が奉納された? |
推古天皇社と金毘羅権現社の間にある。
「大日さん」として地元の方々の信仰を集めている。(奈良市史 社寺編)
神様と仏様が一つの敷地に共存されておりますが、そもそも「大安寺伽藍絵図」に、南大門から中門の間に、東に推古天皇、西に聖徳太子を祀る社殿が描かれております。
大安寺伽藍絵図(部分)
弘法大師 腰かけ石
仏道を志した空海が最初におとづれた場所が大安寺だそうです。
海外の僧も多く、天平時代の『大安寺伽藍縁起并流記資材帳【だいあんじがらんえんぎならびにるきしざいちょう】』によれば、887人の学僧が居住し、学んでいたそうです。
(大安寺貫主 河野 良文氏)
写真:2020.03撮影
home 作成:2020.03.26