天神社【てんじんしゃ】(奈良市高畑町)
額には「天神社」の文字。一般には「てまてんじん」と呼びならわしたという。(祭神少彦名命【すくなひこなのみこと】の別名を手間天神【てまのあまつかみ】という。)後に奈良にゆかりの菅原道真公【すがわらのみちざねこう】を相殿にまつるようになった。
参道入り口
鳥居の額に天神社の文字
御廊の前の狛犬
御廊
「御廊はいわゆる割拝殿のように馬道をつけ社務所などになっている。」と『奈良市史 社寺編』に書かれていた。
向拝唐破風造の拝殿と狛牛
狛牛だ!右は口を空けていないが顎を上げている。
菅原道真公をお祀りするので神使の牛がいるのは理解できますが、狛犬の様な形に置かれているのはめずらしいと思う。
向拝唐破風造の拝殿
江戸時代中期の建物だそうだ。左手に神楽殿。
拝殿の前の狛犬
本殿
御祭神:少彦名命【すくなひこなのみこと】、菅原道真公【すがわらみちざねこう】
一間社春日造・桧皮葺で江戸時代中期の建造物だそうだ。奈良市内では注目すべき社殿と『奈良市史』にある。
(工事中のため足場、脚立、ブルーシート等写っています。屋根の部分も撮影しましたが、雨を遮る様にプルーシートが掛けられていた。)
掲示
当神社の境内地を含むこの丘陵一帯は、平城京がわが国の首都であった8世紀、平城の飛鳥とよばれた聖地でありました。
ここにまず祀られたのが国つ神の中心の1柱である少彦名命で、手間天神とよばれ医薬や学問の神としてあがめられました。
平安時代になって、奈良の菅原の地を出自とする菅原道真の名声が高まり、道真の霊を祀る天満宮が各地に奉祭されるのにともなって、ここの神域にも相殿が建てられて御霊信仰の主神であり、学問勉学の神でもある菅原道真公の霊(天満天神)が併せ祀られることになりました。社伝によると平安時代の白河天皇の時であるということです。
その後、元興寺禅定院あるいは興福寺大乗院の鎮守となり、近世には奈良奉行や近郷の信仰を集めて現在に至りました。
天神社社務所
国家安泰、家業繁栄、学業成就、技能研鑽
皆様の参拝される聖神としてください。
写真右は総霊社?
右手奥にも祠が見える
祠には神社名が書かれた札があるが記録をとり忘れた。(写真を拡大しても分からなかった。)
『奈良市史社寺編』には以下の末社等が書かれている。
境内社
浅間神社(木花開耶姫【このはなさくやひめ】)
秋葉神社(火之迦具土神【ほのかぐつちのかみ】
末社
柿本神社(柿本人麿)
住吉神社(底筒男神【そこつつのおのかみ】、中筒男神【なかつつのおのかみ】、表筒男神【うわつつのおのかみ】)
稲荷神社(宇賀御魂神【うかのみたまのかみ】)
総霊社(神社に関係の深い人たちの祖霊をまつっている。)
記録だけでなく、写真も撮り忘れた。
写真:2012.09撮影
home 作成:2021.11.22