大神神社摂社
桧原神社【ひばら】(奈良県桜井市三輪)
境内入り口
石段の前を山辺の道が通る。大神神社から約1.5kmの距離を歩いて当社に参拝。
注連柱【しめばしら】右手奥に三輪鳥居が見える。
注連柱【しめばしら】は昭和40年11月に新設されたそうだ。
社名標には「大神神社摂社 桧原神社」と書かれている。『日本の神々4』によると、大神神社の摂社となったのは明治10年とのこと。
社名標にはさらに「皇大神宮聖蹟」の文字もある。元伊勢伝承の地である。
境内看板 (元伊勢)桧原【ひばら】神社と 豊鍬入姫宮【とよすきいりひめのみや】の御由緒 大神神社の摂社「桧原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。 第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて【同床共殿」【どうしょうきょうでん】でお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎主)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑」【やまとかさぬいむら】に「磯城神籬」【しきのひもろぎ】を立ててお祀りされました。その神蹟は実にこの桧原の地であり、大御神の伊勢御遷幸の後もその御蹟を尊崇し、桧原神社として大御神を引続きお祀りしてきました。そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。 桧原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。 萬葉集には「三輪の桧原」とうたわれ山の辺の道の歌枕となり、西につづく桧原台地は大和国中を一望できる景勝の地であり、麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残っています。 また「茅原」は、日本書紀崇神天皇七年条の「神浅茅原」【かむあさぢはら】の地とされています。更に西方の箸中には、豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳」(内行花文鏡出土・社蔵)」があります。 大神神社 |
社殿は無い。三輪鳥居の背後にある三輪山を含めた空間に神が座す。 祭神 天照若御魂神(天照大御神) 中央に祀られている。 伊弉諾尊【いざなぎのみこと】 左に祀られている。 伊弉册尊【いざなみのみこと】 右に祀られている。 |
左社殿は、末社豊鍬入姫宮
祭神:豊鍬入姫命【とよすきいりひめのみこと】
古絵図から、はるか昔には拝殿・御橋等の設備のあったことがわかる。
境内掲示
桧原神社
山辺の道・キーワード
三つ鳥居(三輪鳥居ともいう)
桧原神社は大神神社の摂社で、崇神天皇が天照大神を豊鍬入姫命に託して祭らせたと伝えられる元伊勢の伝承地でもあります。
境内に入って振りかえれば、しめ縄越しに二上山が望まれ、夕日のスポットとして人気の情景がある。
近世まであったという山裾の社殿は今はないが、神宮旧内宮外玉垣の東御門の古材を拝領し『三つ鳥居』を再建移築されている。
大和の古道紀行
桜井市観光協会
山辺の道を大神神社から桧原神社へ向かったのだった。夏の蒸し暑い朝だった。
home 更新:2012.08.24a 作成:2008.02..04