九日神社【くにち】(奈良県桜井市芝【しば】)

箸中の国津神社の掲示には「纏向川下流の芝の国津神社(九日神社)には、・・・」とあった。当社は国津神社とも呼ばれているようだ。

九日社と刻まれた燈籠

迷惑にならない場所に車を止め入り口に向かう。
「九日社」と刻まれた燈籠二基、その背後に拝殿と玉垣の一部が見える。

珍しい社名の「九日」だが、長崎くんちを連想した私は、「長崎くんち」をキーワードに調べてみた。「くんち」と「九日」に関連のあることが『Wikipedia』に記載されていた。
以下Wikipedia
九日説
 旧暦の9月9日、重陽の節句に行われた祭であることから「九日(くんち)」という呼び名が定着したという説。長崎など、この説を有力としている地区が多い。9月19日、9月29日を含めた日程で三九日(さんくにち、みくにち)としての祭礼を行っている地域もあり、これが元ともいわれる。 現在は参加者の都合から休日などに日程をずらして行われているくんちも多い。この説をとる祭りが多いにもかかわらず漢字表記として「九日」が使われることがほとんどないのは、日程について誤解を与えないためであるとされる。 昔から九日に行われていなかったくんちもあるが、これに対しては呼び名だけが伝わったためという説明がされる。
供日説
 収穫した作物を神に供える日、「供日(くにち)」から転じて「くんち」になったとする説。漢字表記がされる場合にはこの表記が使われていることも多いが、後から当て字として考えられたものともいわれる。

以上




境内入り口

境内入り口
(鳥居の奥に、同じく「九日社」と刻まれた燈籠が二基見える。さらにその奥に陰石・陽石がある。)




拝殿

拝殿




本殿

本殿

掲示
御祭神
多紀理比賣命【たぎりひめのみこと】
狭依理比賣命【さよりひめのみこと】
多岐津比賣命【たきつひめのみこと】
  九日神社

。古事記にアマテラスとスサノオが誓約をする場面がある。アマテラスがスサノオの十拳【とつか】の剣【つるぎ】をもらい受け、三つに打ち折って口の中に入れ、噛みに噛んで息吹のごとくに吹き出した狭霧【さぎり】とともに成り出た神が宗像三女神であり、当社の御祭神である。まず多紀理毘売命【たきりびめのみこと】、亦【また】の御名は奥津嶋比売命【おきつしまひめのみこと】という。次に、市寸嶋比売命【いちきしまひめのみこと】。亦の御名は狭依毘売命【さよりびめのみこと】という。次に、多岐都比売命【たきつひめのみこと】。(『古事記 新潮日本古典集成』参照)
長女神と次女神は別名があり、末っこの神様は別名が無いようだ。また、御名の漢字が色々使われており(例:売と賣、比売と毘売、都と津などなど)さらにややこしい。日本書紀ではまた漢字が異なるので、さらにさらにややこしい。




玉垣内の狛犬阿形

玉垣内の狛犬阿形
玉垣内の狛犬吽形

玉垣内の狛犬吽形

すばしっこそうな狛犬だ




陽石・陰石 左横から見た陽石・陰席

陽石・陰石



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写真:2021.10撮影
home   作成:2021.10.23