與喜天満神社【よきてんま】(奈良県桜井市初瀬)
掲示
”吉のお宮”本殿・桜井市指定文化財
鎮守聖廟 與喜天満神社のご由緒
○ご祭神 菅原道眞公
天慶九年(946)九月十八日の明け方、初瀬の里に住む修行者・神殿太夫武麿は夢の中に翁を見た。二日後の日没頃、武麿の家の前の石の上(切石御旅所の地)に、夢に見た老人が座っていた。やがて翁は長谷寺へ登り、十一面観音、瀧蔵権現三社を詣でた時、急に黒雲が湧いて来て翁を覆い、見る間に老人は束帯姿となって「私は右大臣正二位菅原道眞である云々と」と名乗った。これに瀧蔵権現が答えて、「この山は良き地である。その大松に住み給え」と告げられた。すると翁はにわかに雷神となり、この山に鎮座されたのである。天暦二年(948)七月に社殿を建立し、良き地を以て、與喜大明神と名づけた。九月二十日には、氏神と申し上げた。これが当社の創祀である。
当社は、わが国最古の天満宮で、長谷寺の鎮守・地主の神である。−またこの神山は、はじめて天上から天照大神が降臨された聖地(磐座・石が鎮座)としても知られている。
<大祭>毎年十月第三日曜日「初瀬祭り」とも呼ばれ、神輿・太鼓台の巡幸で賑わう。本来は旧暦九月二十日(神の顕現された日)に斎行された。
<ご神徳>○入試合格・学業成就 ○大吉福運将来 ○女性守護 ○縁結び等
参道の梅はほとんど散っていた
参道横の小川に架かる心細い橋を渡ると祠が見えてきました |
岩の上に鎮座する八王子社 |
参道途中にある末社八王子社
参道掲示
與喜天満神社・末社
八王子社と山神遙拝所のご由緒
川向こうの岩盤の上に鎮座する八王子社は、天照大神と素戔嗚尊との誓託によって、お生まれになった八柱の神を祭る神社です。
またこの磐座は、八王子社と当山の山神を参拝する場所です。この上、與喜山(国の天然記念物)中腹に鎮座する與喜天満神社は、長谷寺の鎮守・地主の神様です。長谷寺に参詣された方は、当神社へもお参り下さい。−神社へ登られない方は、ここからご参拝下さい。
與喜天満神社は、わが国最古の天満宮(ご祭神・菅原道眞公)で、「吉のお宮」とも言われています。またこの神山に、初めて天上から天照大神が降臨された聖地としても知られています。
<八王子社のご神徳>
○家内安全 ○家族繁栄 ○女性守護 ○所願成就 など。
岩上に社が乗っかっている祭祀形態をとるのは、山添村の六所神社、上賀茂神社末社岩本神社などが思い浮かぶ。昔は、神に願い事を叶えて頂きたい時は、そのつど神をお呼びしていた。お呼びした神の依代の一つが磐座と呼ばれる岩石だ。のちに仏教の影響を受け、神に常駐して頂くために社【やしろ】(社【やしろ】の前段階は屋代【やしろ】で屋根のある依代)が造られるようになったと考えられている。 この八王子社もその系譜をたどった祭祀形態かと期待したのだが、「この磐座は、八王子社と当山の山神を参拝する場所です。」との説明文に、性能の悪い私の脳味噌は混乱してしまい、今も整理が着かない。
おお! 良い感じだ!
境内掲示
與喜天満神社 社殿
国の天然記念物与喜山{(昔から千古斧を入れずの山)=(三燈峰で十一面観音が彫られた)}の中腹(標高二一四m)、桜井市大字初瀬一番地の広場に西向きに鎮座。與喜天満神社の起こり(天慶九年九四六年)は、雷神となって松の大樹の下に鎮座された。松の大樹を御神体としていたが神殿大夫武麿に神託があって天暦二年(九四八年)九月二十日に現在の地に社殿を建て郷内で氏神として祀った。現在の社殿は、棟札から文化十五年(一八一八年)長谷寺第三十九世能化唯阿僧正によって再建されたものである。−後、六年で落慶二00年になる−
〔本殿〕流造三間破風付造 〔別社〕豊秋津姫神社両部山麓に鎮座
〔摂社〕白太夫社 櫻葉社 八王子社 瀧蔵権現三社−全て春日造
本殿右手の摂末社
本殿左手の摂末社
掌石(右)と沓形石(左)
掲示
磐座・「掌【たなごころ】石」と「沓形【くつがた】石」のご由緒
古代は聖なる山に鎮座する磐座に、神を迎えてお祭りをしました。−当社の磐座は、その形態を現在も残す、貴重な信仰上の遺産でもあります。私たちはこの磐座に祈りを捧げ、古代さながらの神体験ができるのです。右上段の磐座・「掌石」(祭神・太玉命)は、手のひらのような形をしているのでその名が付きました。また左下段の「沓形石」(祭神・天児屋根命)は、神官がはく沓のような形をしているので、その名が付きました。手前のが[我+鳥]形【がぎょう】石(祭神・天照大神)は、鵞鳥【がちょう】のような形をしているので、その名が付きました。この三つの磐座で、『古事記』神話に記されている「天の岩戸」【あめのいわと】の段を再現していると考えられます。−
■どうぞ、古代から息づく神の霊気をいただいて、所願の成就をお祈り下さい。
が形石
掲示
”伊勢神宮信仰の原点”
磐座「[我+鳥]形【がぎょう】石」(ご祭神・天照大神)のご由緒
菅原道眞公を祭る與喜天満神社は、平安時代に創建され、当山の鎮守・地主の神様ですが、古代、この地は天照大神が天上からはじめてこの世に降臨された聖地と伝えられています。そもそもこの與喜山は、古代は大泊瀬山と呼ばれ、大和の国に最初に太陽の昇ってくる聖なる山でありました。伊勢神宮の信仰は、この初瀬の地が地理的にも出発点なのです。
天武天皇は六七三年四月、伊勢に出発する斎王・大来皇女の潔斎のための施設をもうけました。これが『日本書紀』に記された「泊瀬斎宮」です。この斎宮も與喜山にあったと考えられています。
原初より女性は太陽であり、神として敬われます。女性の皆様の守護神として心をこめてご参拝下さい。
<ご神徳>
○入試合格・学業成就 ○大吉福運将来 ○女性守護 ○えんむすび良縁 などご祈願下さい。
裏参道
裏参道を帰ったのだが、この先の急な石段の下りは、私の弱い脚には負担が大きかった。
home 作成:2013.03.31