糸井神社【いとい】(奈良県磯城郡川西町)
1.境内入り口 | 2.拝殿 |
3.本殿 | 4.境内灯籠 |
境内看板 |
境内看板 |
この神社は、約千年前の「延喜式」という書物 に糸井(神)社として記されている由緒ある古社で、 祭神は名称のとおり糸に関係する綾羽・呉羽が 主神であるとされている。境内には本殿・拝殿・ 宝庫などがあり、さらに4つの境内社をもつ大規 模な神社で春日大社から移築されたといい伝えら れ手法も春日大社の社殿とよく一致しています。 秋祭りは、毎年十月の第四土曜日(宵宮) 第四 日曜日(本祭)の両日に行われるが糸井神社の氏子 が輪番でつとめる当屋(頭屋)の行事は「当屋相 撲」があるなど格調高く、大和祭礼のなかでも最 も注目すべきものです。 1993年(平成5)年4月 川西町教育委員会 |
糸井神社の絵馬 神社の拝殿内には、天保13年(1842年)と墨 書銘のある絵馬がかかっている。画面には、百人余 りの人が隊列を組んで太鼓踊りをしている時の様 子がイキイキと描かれ熱気が今に伝わってきます。 画面右下には西瓜を屋台で切り売りする姿が描か れており大和平野における西瓜栽培の歴史をうか がうことができます。 こうした踊りは「いさみ踊り」「なもで踊り」 (願望の意)とも呼ばれ雨乞いや願いがかなった時 に踊られたようです。 1993年(平成5)年4月 川西町教育委員会 |
私の原点の神社その2
私の原点の神社その2は奈良県にある糸井神社です。延喜式神名帳に名を連ねる古社であることを知ったのは最近の事でありました。
母親の実家がこの神社の氏子だったので、子供の頃何度か奉納相撲をとらされたことがあります。当時私は大阪市内に住んでおり、相撲相手は当然見ず知らずの男の子達だった。(隣近所の女の子はよく知っておりましたが(^_^;))大阪を代表して闘う等という気概は当然なく、へんに緊張していたのでしょう、勝った記憶が全然ありません。小学校高学年だったか中学生だったかの時、四つに組んで押し合っているとき「これは、良い相撲やな。」と大人達がほめてくれた記憶があります。だが、勝った記憶が無い。
糸井神社のもう一つの記憶は「闇の恐ろしさ」であります。毎年8月11日、墓会式というお盆の行事をお寺で行うのですが、行事が終わると夜の8時近くになります。お寺から最短距離で祖父母の家に戻ろうとすると、糸井神社の西の細い道を使うことになります。その道と神社を分けるように幅2mほどの川が流れております。当時の川は水草が茂っていたり、神社の木々が半分ほど川を覆っていたりして、暗くなるとなんとも不気味な場所に思われたのでした。街灯なんてありません。当然大人と一緒に帰るのですが、私にとってこれほど恐ろしい場所は他にありませんでした。
話は飛びますが、小学校低学年の夏休み、祖父母の家に遊びに来ていたおり、叔父(母の弟)が奈良市内へ映画を見に連れて行ってくれたことがあります。それがなんと怪談の3本立てだったのだ!!その中の一本は、中川信夫監督の「東海道四谷怪談」です。他の2本は猫化けとか累が淵だった気がする。(なぜ東海道四谷怪談だけ覚えているのかと言いますと、成人してからTVでこの映画に感動的な再会をしたからであります。)怪談を3本見て映画館を出ると、もう日が暮れて真っ暗でありました。近鉄結崎駅を下りて、祖父母の家まで暗い道を帰るのにどれほど恐ろしかった事か。
で、話は戻ります。神社の西側を流れる小川は、東海道四谷怪談の場面を連想させるに充分な場所でありました。叔父に映画に連れて行ってもらってから、日が暮れてからの糸井神社の西側の道はますます恐ろしい場所となったのであります。
home 更新:2006.08.13 作成:2005.05.22