鏡作麻気神社【かがみつくりまけ】(奈良県磯城郡田原本町)
標柱には「式内 鏡作麻気大神社」の文字
鳥居越しに拝殿を望む
拝殿越しに本殿を望む |
本殿 |
近鉄田原本駅の東北方1.5キロメートルに鎮座する。『和名抄』に城下郡鏡作郷とあり、鏡作坐天照御魂神社に近い。
祭神の天麻比止都禰命は、天目一筒命のことで太玉命に隷属した神。天疎降臨の節、金工として従ったが、金工には片目を閉じて一つ目で面や曲や直を調べるのでこの名がある。倭鍛冶等の祖神である。『延喜式』神名帳登載の式内社に比定されているが、その頭注に「鏡作麻気神ハ天糠戸命」とある。石凝姥命の親神である。『文徳実録』の仁寿元年(851)正月の詔で正六位上に叙せられたとみられる。創建年代は明らかでないがこの地方に住んだ鏡作部が祀った社と考えられる。
例祭は十月二十五日。境内の北方に神宮寺であったらしい観音堂がある。(『奈良県史5 神社』)
本殿の神殿狛犬
境内掲示
田原本歴史遺産 神々を訪ねて
延喜式内社 旧 城下郡 小坂 鏡作麻気【かがみつくりまけ】神社
祭神 麻比止都称命
祭神の麻比止都称命は、日本書紀に「作金者」と記される「天目一箇神」であり、鍛冶に関わる神とされる。この事は、弥生時代、唐古・鍵遺跡で、銅鐸など、金属鋳造技術集団が、古墳時代になり、鏡作部に継承され、この鏡作郷の地で、金属鋳造が行われてきたのであろう。現在、大阪府の東大阪を中心とした小坂・今里・八尾で、金属加工業界が多いが、この金属加工の人々の先祖は、大和の田原本付近だと伝えられ、田原本町にこれら小坂・今里・八尾の地名が共通する事と関係するかもしれない。
鏡作麻気神社の建築について
元、「子安大明神」であったが、神仏分離後の明治2年(1869)社名を変更したと伝えられる。1間社 隅木入り春日造 銅板葺、千木・勝男木付の社である。
基壇上に建ち、土台を廻し、身舎丸柱、柱上部粽付、大斗・三ツ斗組、向拝、柱方柱面取り、柱天端大斗・連三ツ斗組、虹梁、象鼻、中備蟇股、身舎とは海老梁で繋ぐ。軒廻り1軒繁垂木、三方に縁を設け、背面に脇障子、跳高欄、昇高欄、宝珠柱付、木階9級、正面中央には、格子戸両開きの建具を用い、他面は板壁である。拝殿奥の一段高い所に建築されているが、隅木入り社殿は珍しく、全体に成の高い社殿で、明治頃の建設かも知れない。
鏡作麻気神社取調書上帳
小坂村・絵図(明治3年・1870)
平成21年度 No.2 田観52 田原本町観光協会
↑ 本殿左手に「金毘羅大権現」の石碑 ← 『鏡作麻気神社取調書上帳』 小坂村・絵図 |
摂末社
境内の東側にある。絵図には東側に「白山社」の文字と千木のある祠が記載されている。
向かって左側の千木のある祠が白山社か?
4月下旬の参拝、当社西、寺川の土手に咲くアヤメ
写真:2018.04撮影
home 作成:2018.06.12