鏡作坐天照御魂神社【かがみつくりにますあまてるみたま】(奈良県磯城郡田原本町)

参道入り口

標柱には「縣社 鏡作坐天照御魂神社」の文字
鳥居の額には「正一位鏡作大明神」の文字




参道途中より拝殿を望む

拝殿
拝殿の額

拝殿の額には「鏡作大明神」の文字




本殿

本殿

境内掲示

鏡作坐天照御魂神社【かがみつくりにいますあまてるみたま】(鏡作神社)
祭神 天照国照彦火明命
【あまあてるくにてるひこほあかりのみこと】・石凝姥命【いしこりどめのみこと】・天糠戸命【あめのあらとのみこと、あめのぬかとのみこと】
由緒
 「倭名抄」鏡作郷の地に鎮座する式内の古社である。
 第十代崇神天皇のころ、三種の神器の一なる八咫鏡を皇居の内にお祀りすることは畏れ多いとして、まず倭の笠縫邑におし祀りし(伊勢神宮の起源)、更に別の鏡をおつくりになった。社伝によると、「崇神天皇六年九月三日、この地において日御像の鏡を鋳造し、 天照大神の御魂となす。今の内侍所の神鏡是なり。本社は其の(試鋳せられた)像鏡を天照国照彦火明命として祀れるもので、この地を号して鏡作と言ふ。」とあり、ご祭神は鏡作三所大明神として称えられていた。
 古代から江戸時代にかけて、このあたりに鏡作師が住み、鏡池で身をきよめ鏡作りに励んだといい、鏡の神様としては全国で最も由緒の深い神社である。

田原本町



境内掲示

鏡作座 天照御魂神社
田原本町 大字八尾字ドウズ
旧郷社 祭神 天照国照彦火明命・石凝姥命・天児屋根命
近在に宮古・鏡作伊多神社、保津・鏡作伊多神社、小阪・鏡作麻気神社、石見・鏡作神社があり、これらの所在地は「和名抄」の鏡作郷。

延喜式神名帳、城下郡の項に「鏡作天照御魂神社 大月次 新嘗」
文献初出 天平二年(720)  大倭国主税帳(正倉院文書)神戸の租稲二十五束
  以下 大同元年(806)  大和国で二戸、伊豆国で十六戸神封  「新抄格勅符抄」
     貞観元年(859)  従五位下より従五位上に昇位  「三代実録」
     神主 主水直の家に伝える「阿可理薬」の事が記載。  「大同類聚方」
     天保年間(1830-44) 社前の狛犬を大坂の鏡屋中が奉納
              「在 八尾村与宮古、但馬、黒田、岩見、今里、西代、新町村共預祭祀、社傍有鏡池池今乾涸」と  「大和誌」

平成14年12月15日 田原本町観光協会


(一部省略)




東側より本殿を拝す

本殿




鏡作坐若宮神社 鏡作坐若宮神社

鏡作坐若宮神社




鏡石

鏡石
鏡池

鏡池



拝殿の鏡

拝殿内に祀られている鏡
御神宝の鏡の写真

当社御神宝



摂末社

左より、八意思兼神社、粟嶋神社、事代主神社、厳嶋神社、保食神社、大国主神社、猿田彦神社




鍵取社、笛吹社

左:鍵取神社、右:笛吹神社
愛宕社

愛宕神社

愛宕社の後方に鐘楼が見えます。神仏習合時の名残です。


境内掲示

神社に釣り鐘?

 此処より西域は昔の寺領で、神佛習合時代神宮寺、真言宗「聞楽院」と称する寺院があり、明治五年に廃寺となるも鐘楼のみ今に残っています。現社務所は旧寺院跡です。

 この「釣り鐘」は太平洋戦争時に金属類供出の国策に従い、泉州の軍事工場まで運ばれ、鋳潰される寸前に終戦となり、運良く元の鐘楼に帰りました。毎年搗く除夜の鐘の音は近郷の村々に響き渡っています。

◎「この鐘を搗くと良き運に恵まれるかも」
(自由に搗いて下さい。無料です。)

文 堀内篤夫



狭依姫社

狭依姫神社【さよりひめ】
(狭依姫は市杵嶋姫の別名)
摂末社

天照皇大神宮、手力雄神社、住吉神社、春日神社


神社の地図 ←地図  戻る

写真:2018.04、2018.05撮影
home   作成:2018.06.24