甘樫坐神社【まがしにます】(奈良県高市郡明日香村豊浦)

境内入り口より拝殿を望む

この時、13年ぶりの参拝だった




中央に春日造の社殿、左右に流造の社殿

『日本の神々4 大和』 
祭神は文安三年(1446)の『五郡神社記』では八十禍津日命【やそまがつひのみこと】、大禍津日命【おおまがつひのみこと】、神直毘命【かむなおびのみこと】、大直毘命【おおなおびのみこと】の四柱という。しかし江戸時代の『和州旧跡幽考』『大和志』などには、推古天皇を祀ると記されている。当社の寛永八年(1631)の棟札には六所大明神とみえ、宝暦八年(1758)の棟札に、推古天皇を主神として八幡宮・春日大明神・天照皇大神・八咫烏神・住吉大明神・熊野権現が併記されている。

延喜式には「甘樫坐神社四坐」とあることから、『五郡神社記』のいう四柱が元の祭神ではないかと推定される。のちに推古天皇が主祭神となったが、額田部皇女が豊浦宮において即位されたことによるのではないか。




甘樫坐神社の立石 甘樫坐神社の立石

立石

掲示
「盟神探湯【くがたち】」
 盟神探湯は裁判の一種として考えられ、煮え湯の入った釜に手を入れ「正しき者にはヤケドなし、偽りし者はヤケドあり」という極めて荒い裁判の方法です。「日本書紀」によれば允恭天皇4年(415)氏姓制度の混乱を正すため、甘橿の神の前に諸氏を会して盟神探湯を行ったと伝えています。
 現在では毎年4月、境内の「立石」の前に釜を据え、嘘・偽りを正し、爽やかに暮らしたいという願いを込め、豊浦・雷大字が氏子となって「盟神探湯神事」としてその形を保存・継承しています。
 「立石」と呼ばれる謎の石はこの豊浦のほか、村内の岡・上居・立部・小原などにも残っています。

明日香村大字豊浦です



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写真:2014.5・6撮影
home    作成:2020.10.23