氷室神社【ひむろ】(奈良県天理市福住町)

参道入り口

参道入り口




一の鳥居

上の写真に写っている鳥居傍まで来ました
左の石柱には「郷社氷室神社」の文字
一の鳥居横の石碑

鳥居右手にある石碑拡大
「氷室神」と書かれている?



一の鳥居横の木

鳥居右手にある木。たぶん木だと思うが・・・
今にも動き出して、絡み捕られそうなんですけど・・・




参道より拝殿を望む

参道を進むと拝殿が見えて来ました。参道右手に右の石碑有り。
「長己大神」と書かれた石碑

長己大神?大蛇?水神?



拝殿

拝殿




本殿

撞木造の本殿

掲示
福住 氷室神社御由緒
鎮座地 天理市福住町一八四一番地
祭神  闘鶏稲置大山主命【つげいなぎおほやまぬしのみこと】
    大鷦鷯命【おほさざきのみこと】
    額田大中彦命【ぬかたおほなかひこのみこと】

畏くも当神社は国史所載の都祁【つげ】氷室神社にして御祭神特殊の御功徳に対し旧号を福住氷池の宮又は都介【つげ】氷室或は福住氷室とも称し氷一切に関する主護神として今を去ること壱千四百余年前允恭天皇三年辛酉朔正月下旬時の大臣三田ノ宿禰勅を奉じて本邦氷室■
(:さんずい+監)觴の霊地たる闘鶏氷室の傍に鎮座し給い爾耒皇室の崇神殊の外厚く古くは氷室神祭氷池神祭氷池風神祭いづれも官幣に預り来りし最も尊き大神にましますなり。闘鶏稲置大山主命は神武天皇の皇子神八井耳ノ命の裔 都介国造の後にして今日の機械氷たるの前身として壱千六百有余年の昔人智未開の時天然氷を貯え且つ其利用の道を発明して是を教へ給ひ或は凍豆腐の製造を創始して今日あらしめ給う大神なり。大鷦鷯命は謚名【おくりな】仁徳天皇にして献氷の典例を開かせ給ひし大神なり。額田大中彦命は仁徳天皇の御弟にして貯氷の術を奏上して献氷せしめ給ひし大神なり。人皇第十六代仁徳天皇の御宇 額田大中彦皇子闘鶏野に狩し給ひ初めて氷室を観これをし帰りて天皇に献ぜらしより氷室の献進永く国例となり年々朝廷に氷を貢ぎ爾後都を遷す毎に氷室を京城の近傍に設けられしも福住氷室は其根元の所なるを以て供進に預り来りしこと国史に詳なり。今も神社後方室山(氷室山の畧称)に古昔献氷を取りし由緒ある茅萩池【ちすすぎいけ】及び天然氷を貯蔵せし氷室跡又は塔の森に此氷の祖神たる闘鶏稲置大山主命の墳墓地並に古碑等歴然として尚存せり。例祭は十月十五日にしてこの日由縁深き氷室山旧址の御旅所へ古式による御輿渡御ありて最も殷賑を極むるなり。

氷室神社社務所



本殿を拡大

本殿拡大




摂末社

御祭神  左の社殿:御霊大神、天照皇大神、八幡大神   右の社殿:春日大神、白山大神




摂末社

左:厳島神社、事比羅神社  右:金比羅神社
こちらは神社名表記だった




池の氷

境内にある池は、氷が張っていた。
撮影した写真を見て、1月と2月にお参りしていることを確認した。
氷室神社だからって、氷のシーズンを選んだ訳でもないのだが・・・




神社の地図 ←地図  戻る

写真:2012.02(一部2007.01)撮影
home   作成:2017.01.23