石上神宮【いそのかみ】(奈良県天理市布留町)


御祭神
布都御魂大神【ふつのみたまのおおかみ】
布留御魂大神【ふるのみたまのおおかみ】
布都斯魂大神【ふつしみたまのおおかみ】

『延喜式』神名帳には石上坐布都御魂神社【いそのかみにいますふつのみたま】とある。本来は布都御魂大神一座をお祀りしていたと考えられる。

配祀神
五十瓊敷命【いにしきのみこと】
宇摩志麻治命【うましまじのみこと】
白河天皇【しらかわてんのう】
市川臣命【いちかわのおみのみこと】

御由緒には、以下のように書かれておりました。
神武天皇東征のおり、国土平定に偉功をたてられた天剣(平国之剣【くにむけしつるぎ】)とその霊威を布都御魂大神【ふつのみたまのおおかみ】と称え、鎮魂【たまふり】の主体である天璽十種瑞宝【あまつしるしとくさのみづのたから】の起死回生の霊力を布留御魂大神【ふるのみたまのおおかみ】と称え、素戔嗚尊【すさのおのみこと】が八岐大蛇【やまたのおろち】を退治された天十握剣【あめのとつかのつるぎ】の霊威を布都斯魂大神【ふつしみたまのおおかみ】と称え、総称して石上大神【いそのかみのおおかみ】と仰ぐ。

石上神宮参道入り口 石上神宮の鳥居



石上神宮境内




石上神宮の楼門

楼門(国の重要文化財)
石上神宮の楼門



石上神宮の楼門




楼門から拝殿を望む




石上神宮の拝殿

拝殿
この拝殿は、永保元年(1081年)白河天皇が皇居の三殿の一つ神嘉殿【しんかでん】を寄進したものと伝えられる。
現存する拝殿としては日本最古のもで国宝に指定されている。
背後に石の瑞垣を巡らせた禁足地があり、古来祭祀の中核だった。




本殿

本殿
本殿は大正二年に建てられたもので、それまで本殿は無く、主祭神三柱は禁足地に埋祀されていた。




出雲建雄神社拝殿 出雲武雄神社

出雲建雄神社拝殿(国宝) 奥は楼門
もとは内山永久寺の四所明神のもので、幕末に移築された。


出雲建雄神社拝殿

こちらが拝殿表側になる

             出雲建雄神社

境内掲示

出雲建雄神社
摂 社 出雲建雄神社【いずもたけお】
       式内社
御祭神 出雲建雄神【いずもたけおのかみ】
由 緒
 出雲建雄神ハ草薙ノ剣ノ御霊ニ坐ス今ヲ去ルコト千三百余年前天武天皇朱鳥元年布留川上日ノ谷ニ瑞雲立チ上ル中神剣光ヲ放チテ現レ「今此地ニ天降リ諸ノ氏人ヲ守ラムト」宣リ給ヒ即チニ鎮座シ給フ




石上神宮摂社天神社と七座社 摂社

天神社【てんじんしゃ】(西面)
御祭神
高皇産霊神【たかみむすびのかみ】
神皇産霊神【かみむすびのかみ】

七座社【ななざしゃ】(北面)
御祭神
生産霊神【いくむすびのかみ】
足産霊神【たるむすびのかみ】
魂留産霊神【たまつめむすびのかみ】
大宮能売神【おおみやのめのかみ】
御膳都神【みけつかみ】
辞代主神【ことしろぬしのかみ】
大直日神【おおなおびのかみ】

由緒
右二社ハ生命守護ノ大神等ニ坐ス
古来当宮鎮魂祭関係深キヲ以テ
上古ヨリ鎮座シ給フ所ナリ




●神剣布都御魂に関して、『古事記』には以下の様に書かれています。
神倭伊波礼毘古命【かむやまといわれびこのみこと】(神武天皇)が熊野村に着いたとき、大きな熊が見え隠れし姿を消したのを見た。すると、彼と彼の軍隊は気を失ってしまった。そこへやってきた高倉下【たかくらじ】が一振りの横刀【たち】を献上すると、神倭伊波礼毘古命はすぐに正気に戻った。献上された横刀を受け取ると、熊野の山の荒ぶる神々はひとりでに切り倒されてしまった。
神倭伊波礼毘古命が、不思議な横刀をどうして得たのかとお尋ねになると、高倉下はお答え申し上げた。「先日、私は夢を見ました。天照大御神【あまてらすおおみかみ】と高木神【たかぎのかみ】(高御産巣日神【たかみむすひのかみ】)二柱の神のご命令で建御雷神【たけみかずちのかみ】を召して次のようにおっしゃっいました。「葦原【あしはら】の中【なか】つ国【くに】はひどく混乱しているようだ。私の子孫たちは安全ではないようだ。建御雷神よ、再度降【くだ】って平定しなさい。」すると、建御雷神は申し上げました。「私がまた降【くだ】らなくても、その国を平定した横刀を降しましょう。」(この横刀の名は、佐士布都の神【さじふつのかみ】といい、またの名は甕布都の神【みかふつのかみ】といい、またの名は布都の御魂【ふつのみたま】という。この刀はいま石上神宮にいらっしゃいます。
建御雷神は高倉下に、「この横刀を降す様子は、高倉下の倉のてっぺんに穴をあけて、そこから落とし入れようと思う。だから、明日の朝良いことがあるだろう。汝【なんじ】はその横刀を持って、天つ御子に献上しなさい。」と夢の中でいわれた。翌朝、自分の倉を見ますと、本当に横刀がありました。だから、この横刀を献上いたしました。


原文

神倭伊波礼毘古命【かむやまといわれびこのみこと】、熊野村に到りましし時、大熊髪【ほの】かに出【い】で入りてすなはち失【う】せき。ここに神倭伊波礼毘古命、倏忽【には】かに惑【を】えまし。また御軍【みいくさ】も皆惑【を】えて伏しき。この時熊野の高倉下、一ふりの横刀【たち】を齎【も】ちて、天つ神の御子の伏したまへる地【ところ】に到りて献【たてまつ】りし時、天つ神の御子、すなわち寤【さ】め起きて、「長く寝つるかも。」と詔【の】りたまひき。故【かれ】、その横刀を受け取りたまひきし時、その熊野の山の荒ぶる神、自【おのづか】ら皆切り仆【たふ】さえき。
天つ神の御子(神武)、その横刀【たち】を獲【え】し所由【ゆえ】を問ひたまへば、高倉下【たかくらじ】答へ曰【まを】ししく、「己が夢【いめ】に、天照大神、高木神、二柱の神の命【みこと】もちて、建御雷神【たけみかづちのかみ】を召【よ】び詔りたまひけらく、『葦原中国【あしはらのなかつくに】はいたく騒【さや】ぎてありなり。我が御子等【たち】不平【やくさ】みますらし。建御雷神【たけみかづちのかみ】降【くだ】るべし」とのりたまひき。ここに答へ曰ししく、「僕【あ】は降らずとも、この刀【たち】を降すべし。」(この刀の名は、佐士布都神【さじふつのかみ】と云【い】ひ、亦【また】の名は甕布都神【みかふつのかみ】と云い、亦の名は布都御魂【ふつのみたま】と云ふ。この刀は石上神宮に坐【いま】す。
この刀を降さむ状【さま】は、高倉下が倉の頂【むね】を穿【うか】ちて、それより堕【おと】し入れむ。故、朝目吉【よ】く汝【なれ】取り持ちて、天つ神の御子に献れ。」とまおしたまひき。故、夢の教への如【まにま】に、旦【あした】に己が倉を見れば、信【まこと】に横刀ありき。故、この横刀をもちて献りしにこそ。」とまをしき。


●布留御魂神【ふるのみたまのかみ】の霊力の基である十種の神宝【とくさのかんたから】(天璽十種瑞宝)に関して、『旧事本紀』には以下の様に書かれています。
神武天皇は即位後、物部氏の遠祖宇摩志麻治尊【うましまじのみこと】に神剣布都御魂を授けて宮中に奉祀させた。宇摩志麻治尊は父饒速日尊【にぎはやひのみこと】が降臨の際に天津御祖から賜った十種の神宝を天皇に献り、かつ神盾を立てて斎き祀った。
社伝によれば、その後、布都御魂神(神剣布都御魂)と布留御魂神(十種の神宝)は宮中に斎祀されていたが、崇神天皇七年に物部連の祖伊香色男命【いかがしこおのみこと】が勅を奉じて石上の高庭に移し祀り、石上大神と称えたという。

十種の神宝とは、瀛津鏡【おきつかがみ】・辺津鏡【へつかがみ】・八握剣【やつかのつるぎ】・生玉【いくたま】・死反玉【まかるかえしたま】・足玉【たるたま】・道反玉【ちかえしたま】・蛇比礼【おろちのひれ】・蜂比礼【はちひれ】・品物比礼【くさぐさのものひれ】の十種を言う。


●布都斯魂大神【ふつしみたまのおおかみ】の霊力の基である天十握剣【あめのとつかのつるぎ】に関して、古事記には以下のように書かれています。
天照大神の岩戸隠れがあり、大気津比売命【おおけつひめのみこと】の殺害があって、須佐之男命は高天の原【たかまのはら】を追放されます。降りたところは、出雲の国の肥河【ひのかわ】(斐伊川)の上流にある鳥髪【とりかみ】。そこで足名椎【あしなづち】、手名椎【てなづち】夫婦とその娘櫛名田比売【くしなだひめ】に出会う。そして、八俣の大蛇【やまたのおろち】に食われようとしていた櫛名田比売を救うことになる。須佐之男命が八俣の大蛇の姿を尋ねると、「その目は赤いほおずきのようで、一つの胴体に八つの頭と八つの尾がある。その身には苔と檜と杉が生えていて、体の長さは八つの谷、八つの峰にも渡るほどで、その腹を見ると、いつも血でただれている」と足名椎が答えた。須佐之男命は、「おまえたちは、なんども醸造した強い酒を造り、垣根を造りめぐらして、その垣根に八つの門をつけ、その門ごとに八つの食物を置く場所を設け、そこに酒を入れる船を置いて、その船ごとによく醸造した酒を一杯にして待て。」と命じた。命令通りに準備して待っていると、八俣の大蛇がやってきて、酒を飲み酔っぱらって寝てしまった。そこで須佐之男命が八俣の大蛇を切りきざんだのが十握の剣である。中の尾を切ったときこの剣の刃が折れたという。刃の先で大蛇のその尾を刺し割ってみると、都牟刈【つむがり】の太刀が出てきた。この太刀は天照大神に献上された。これがいまの草薙の太刀【くさなぎのたち】(草薙の剣)である。

(八俣の大蛇はキングギドラの8/3倍強い怪獣なのだ。小さい頃、『日本誕生』を劇場で見ました。たしか須佐之男命が三船敏郎さん、櫛名田比売命が司葉子さんだった気がする。『わんぱく王子のおろち退治』というアニメも劇場で見ました。)

拝殿の燈籠



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home   更新:2009.12.22 作成:2009.02.01