大和神社【おおやまと】(奈良県天理市新泉町)

169号線は昔からよく利用している道です。その道に当社の大きな標柱があり、運転しながら横目で見ていて、ずっと「やまと」神社と思っていました。1998年に各地の神社参拝をしようと思い立って、当社へは十三社目にお参りした。その時はちゃんと「おおやまと」神社と理解しておりました。

参道入り口、一の鳥居

一の鳥居
参道。奥に二の鳥居が小さく見える。

参道

一の鳥居は旧上ツ道に面している。
長い参道だ。(マピオンのキョリ測で本殿までの距離を計ると340mあった。)




二の鳥居

二の鳥居




拝殿

拝殿




拝殿より本殿を拝す

拝殿より本殿を拝す

掲示

大和大明神
日本最古の神社 大和【おおやまと】神社
御祭神 日本大国魂大神【やまとおおくにたまのおおかみ】 (中央)
    八千戈大神【やちほこのおおかみ】        (向右)
    御年大神【みとしのおおかみ】          (向左)

御祭礼 四月一日(ちゃんちゃん祭)
社 格 旧官幣大社(橘【たちばな】の森鎮座)
御由緒
まほろばなる大和平野に長い森を列ねて鎮座する神々は、第十代崇神天皇六年(二,000余年前)まで皇居内に天照大神と共に奉斎されていた大地主【おおとこぬし】に坐【ま】します。皇女渟名城入姫【ぬなきいりひめ】命により大和郷(現地)に移されたのが当神社の創建。
 往古よりわが国に文化・産業をもたらした遣唐使も交通安全の祈願をされ、万葉集「好去好来」にうたわれています。
 また戦中は世界最大最強を誇る"戦艦大和"の守護神として祀【まつ】られました。同艦の伊藤整一命外は祖霊社に合祀されています。
御神徳 交通安全、土木建築工事起工安全、厄除け、家内繁栄
鎮座地 天理市新泉町星山三0六
    大和郷内に天理教中山みき教祖生誕地は近くの三昧田町にあります。

『日本書紀』の崇神天皇紀に倭大国魂神に関する記述がある。(『全現代語訳 日本書紀』宇治谷 孟著 講談社学術文庫)
崇神天皇五年、疫病が多く民の死亡するものが半数以上になった。
六年、百姓の流離するもの、反逆するものがあり、その勢いは徳を以て治めようとしても難しかった。それで朝夕天神地祇にお祈りをした。これより先、天照大神・倭大国魂の二神を、天皇の御殿の内にお祀りした。ところがその神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった。そこで天照大神を豊鍬入姫命に託し、大和の笠縫邑に祀った。日本【やまと】大国魂神は、渟名城入姫命にあずけて祀られた。ところが渟名城入姫命は、 髪が落ち身体が痩せてお祀りすることが出来なかった。
七年、「大田田根子命【おおたたねこのみこと】を、大物主神を祀る祭主とし、また市磯長尾市【いちしのながおち】を倭大国魂神を祀る祭主とすれば、必ず天下は平ぐだろう」との神のお告げがあった。その通りにすると疫病がはじめて収まり、国内はようやく鎮まったという。

大田田根子命も市磯長尾市も主祭神の神裔【しんえい】である。古来より祭祀していた氏族から祭祀権を奪ったことに神々が納得しなかったので、祭祀権を元に戻したら鎮まったということだろう。

『歴史読本 王権の神社 古代22社の神々』(新人物往来社)によると、
・『日本書紀』では、日本大国魂神・倭大神・大倭大神などの表記をされている。
・渟名城入姫命は日本大国魂神を託されて、「大市【おおち】の長岡岬」(現在地の南東にある長岳寺付近の上長岡ともいわれるが不明)でお祀りされている。

拝殿横より本殿を拝す

拝殿横より本殿拝す




拝殿と玉垣門

1998年9月に参拝した折の写真です。玉垣門の梁の下、欄間越しに丸く白っぽいものが三つ見えます。
一つ上の写真(2006年7月撮影)では一つです。二つ上の写真(2009年4月撮影)も一つです。
ちなみにGoogleマップに掲載された写真は一つ、玄松子さんの写真は三つでした。気になります。




高オオカミ神社

高オオカミ神社

掲示

高おおかみ神社 祈雨神祭【きうしんさい】について 全国総本社

 大和【おおやまと】神社の摂社である。祭神は雨師大神即ち水神様で、崇神天皇のとき渟名城入姫命【ぬなきいりひめのみこと】をして、穂積長柄岬【ながえさき】(現新泉【にいずみ】星山)に創祀される。
 古来六月一日、十年に一度の大祭には、和歌山・吉野・宇陀その他近在邑々【むらむら】から千人余りも参拝者の列が続いたとある。先頭に丹生【にう】川上神社中・下社が金御幣を持ち後尾は末社の狭井【さい】神社が勤めた。茅原上つ道を経て箸墓【はしはか】裾で休憩、大倭柳本邑【やなぎもとむら】に入り長岡岬、大市坐皇女渟名城入姫【ぬなきいりひめ】斎持御前の井戸で祓い清める。神職は輿【こし】と共に神橋を渡り大和神社に入る。一般の人達は宿から一番鶏が鳴くと倭市磯【いちしの】池に体を清め笠縫邑【かさぬいむら】から神社へ向かう。
 社は古代伊勢神宮と同じ建築様式で江戸時代の建立になる。昭和二十五年の台風により被害を受け半壊する。



増御子神社

掲示

増御子【ますみこ】神社
祭神 猿田彦大神【さるたひこのおおかみ】
   天鈿女命【あめのうずめのみこと】

猿田彦大神は、ものごとの一番最初にご出現になり、万事最もよい方へお導きになる大神です。古事記・日本書紀などにも、わが国の初め天孫瓊瓊杵尊をこの国土へご啓行になられたと伝えられています。このご神徳によって、全国各地のご祭礼に際しては一番先頭に大神を仰いで渡御が行われ、本社の渡御祭にも先駆する天狗が猿田彦大神です。「さき立ちの神」「さきみちの神」「ひらきの神」として、氏子・崇敬者の将来の繁栄と開運成就をお授けくださいます。
学業成就、家業繁栄、交通安全、開業・移転災除等、諸願成就にご神徳顕著です。



厳島神社・事代主神社

厳島神社 事代主神社
御祭神:厳島大神【いつくしまのおおかみ】 御祭神:事代主大神【ことしろぬしのおおかみ】



朝日神社

朝日神社
御祭神:朝日豊明神




祖霊社

祖霊社
御祭神:大国主命、戦艦大和戦没英霊、氏子信徒祖霊




御神木?



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写真:2009.04、2006.07、1998.09撮影
home   作成:2022.03.24