御杖神社【みつえ】(奈良県宇陀郡御杖村神末園座)【こうずえそのくら】
境内入り口
神社の前を神末川が流れる
境内入り口
拝殿
拝殿を横から見る
神明造の本殿。本殿の床下に山ノ神碑がある。
摂末社
当神社のある御杖村神末は、北は三重県名張市、東は三重県津市美杉町、、南は三重県松阪市飯高町に接しており、中世には伊賀国に属していた。社蔵の棟札、天文二十三年(1554年)のものに伊賀国名張上津江之宮とある。慶長十八・九年(1613-4年)頃に伊賀国名張郡から大和国宇陀郡に編入されたと考えられる。
社蔵の棟札の銘には「上津江宮」、「国津大明神」、「上之宮九頭大明神」とあり、連記されたものには「産土神・国津明神・九頭大明神・下宮牛頭天王」、「国津大明神・御杖神社・九頭大明神」とあり、「御杖」の名が記されているのは安政六年(1859年)の棟札のみである。古くは上津江宮、国津大明神、九頭大明神と称せられていたと考えられる。棟札銘の中に上之宮とあるのは当社のことで、下宮とは明治43年に当社に合祀された社谷に鎮座していた素戔嗚神社(牛頭天王社)のことである。
『三国地誌』に「今下比奈知村国津明神の社地を六個山と云、所謂六個とは下比奈知、滝原、奈垣、布生、多羅尾、神末是也、慶長十八年東大寺旧案に見えたり」とある。これらは伊勢神宮の伊賀神戸の地であり現在も神末から名張にかけて国津神社(葛明神)が点在し、それらは神末の葛明神(御杖神社)の分霊であるとの伝承がある。(日本の神々4)
以下は、神社で頂いた資料
大和國宇陀郡 御杖神社
○鎮座地 奈良県宇陀郡御杖村神末園座【こうずえそのくら】1020番地
○社 格 延喜式内小社
旧社格 郷社(明治6年4月列格)
○祭 神 久那斗神【くなどのかみ】 八街比古神【やちまたひこのかみ】八街比女神【やちまたひめのかみ】
久那斗神【くなどのかみ】は伊弉諾尊【いざなぎのみこと】が黄泉から出で給いて筑紫の日向【ひむか】の橘小戸【たちばなのおど】の阿波岐原【あわぎはら】で御祓【みそぎ】をされたときに投げ捨てた杖からお生まれになった道饗祭【みちあえのみまつり】の主神【しゅじん】。この久那斗神【くなどのかみ】と共に境界を守護する八街比古神【やちまたひこのかみ】と八街比女神【やちまたひめのかみ】の三座をお祀り申し上げています。
「久那斗」【くなど】とは杖の義で、久那斗神【くなどのかみ】は道路や巷(物事の別れ目)に在って、悪や禍を寄り立ちて遮り、『此の処より来る事勿れ。』と防ぎ止め、人生の行路を安全に守護し、幸福をもたらす神様です。
「八街」【やちまた】とは辻の義で、八街二神は国引き・地引【ぢび】きの要に在って、悪や禍を塞ぎ護る要塞の神様です。
当社の祭神三座は、古来、鬼・疫病神が都や神域に入るのを防ぎ止めて宮中・神宮を守護するため境界四方で行われていた道饗祭【みちあえのみまつり】の神々で、当地は伊勢神宮との関係が深く、また、国境の地であることから往昔【おうせき】の道饗祭【みちあえのみまつり】が行われていました。
○合祀祭神
須佐男尊【すさのおのみこと】、稲田姫命【いなだひめのみこと】、大巳貴命【おおなむちのみこと】、少彦名命【すくなひこなのみこと】、天之忍穂耳命【あめのおしほみみのみこと】、天之穂日命【あめのほひのみこと】、天津日子根命【あまつひこねのみこと】、活津日子根命【いくつひこねのみこと】、熊野久須毘命【くまのくすびのみこと】、多紀理毘賣命【たきりびめのみこと】、狭依毘賣命【さよりびめのみこと】、多岐津毘賣命【たぎつびめのみこと】
○境内神社
八幡神社、道主貴神社【みちぬしのむち】、龍田神社、藪中神社【やぶなか】、
金比羅神社、稲荷神社、山神神社、木花佐久夜毘賣神社、愛宕神社、秋葉神社
○社 殿 本殿 神明造
拝殿 入母屋造
○主要祭儀 例祭(11月第1日曜日)
祈年祭【としごいのまつり】(2月中旬)、祇園祭【ぎおんまつり】(7月14日)、
新嘗祭【にいなめさい】(12月初旬)、歳旦祭【さいたんさい】(12月31日)
○縁 起 当社は、延喜式神名帳【えんぎしきじんみょうちょう】(927年)の大和國宇陀郡【うだのこおり】17座の神社で、式内社の格を有する古社である。
第11代垂仁天皇の勅命により、天照大御神の御杖代(大御神を祀り、大御神の言葉を取り次ぐ斎宮【いつきのみや】)となられた皇女倭姫命【やまとひめのみこと】は、大和國笠縫邑【かさぬいむら】より神慮に叶うべき新たな宮地を求められ、道中この地に行宮【あんぐう】を造り御休座になられたところと伝承されています。当社では倭姫命の杖(神に占有され掌握の境域を劃する玉杖)をお祀りするところから御杖村の村名が付けられました。天照大御神は伊勢に遷宮されましたが、故を以て神末村【こうずえむら】は伊勢神宮の神戸【かんべ】と定められ、明治初期まで五石五斗の貢米を奉献していました。
社殿は、天文15年争乱のため荒廃したが、天文23年(1554年)に造営した。以後、社殿の造営を繰り返し行って、多数の棟札を現在に残しています。慶長18年(1613年)の頃には近隣32ヶ村の郷社と定められました。
拝殿両側の御神木「上津江杉」【かみつえすぎ】の樹齢は600年、室町将軍足利義満公の御世と伝えられています。
★平成19年から例大祭・太鼓台練り込み・ごくまきは11月第1日曜日に行います。
home 作成:2008.09.07