阿紀神社【あき】(奈良県宇陀市大宇陀迫間【はさま】)

神社入り口

神社入り口

掲示

阿紀神社
神武天皇紀州熊野の難所を越し大和宇陀へ出て当地阿騎野において御祖の神を敬祭り国中へ押出すとき朝日を後に戴きて日神の御位勢をかり賊軍を打ちはらい御運を開かせ給ふと当社古文書にあり祭神は伊勢神宮と御同体の天照大神社殿は神明造り南向と伊勢神宮と全く同じ建て方になっております。
境内にある能舞台は宇陀の地が元和以来織田藩の治所となり三代長頼公時代に始められたものといわれている。


阿騎野まちナビ
阿紀神社
垂仁天皇の御代皇女倭姫が天照大神を祀った宇多の吾城(阿騎)宮が当社の起こりといわれる。境内には神明造りの本殿と現在では非常にめずらしい能舞台があり、「あきの蛍能」として六月中旬に能楽が催される。

http://aknv.city.uda.nara.jp/
宇陀市


縣社 阿紀神社縁起
社名 阿紀神社 元阿貴宮又ハ神戸大神宮ト稱ス
祭神 天照坐皇大神 秋姫命
  八意思兼命 天手力男命
延喜式内社 宇陀郡十七座ノ中鍬靱奉幣社也
由緒 大国主神ノ孫姫、秋毘賣神、宇陀ノ荒野ヲ柘殖経営シ給ヒ秋野ノ狭間ヲ万代ノ宮處ト擇ビ定メテ鎮座シ給ヘルガ此ノ神社ノ創始ナリト云フ神武天皇御東征ノ砌リニハ此宮處ニ大■ヲ樹テ給ヒ天神地祇ヲ祀ラレ崇神天皇六十年ニハ皇女倭姫命天照大神ノ御杖代トナリ四ヶ年間此宮ニ斎キ奉ル今ヲ遡ル二千餘年前也
祭日 例祭十月十七日 地方例祭旧八月十六日煙火祭ヲ行フ
社格 縣社 明治三十五年列格元郷社
   奈良縣宇陀郡神戸村迫間小字吾城野鎮座
   阿紀神社々務所


■:【とう】 大纛【たいとう】:軍中で用いる大きな旗。天皇のいる陣営。大本営。(goo辞書)




境内

境内
右手に見える建物は舞殿




摂末社と本殿

摂末社の奥に本殿




神門

千木・鰹木をいただく神門




神門

神門は本殿を隠す様に閉ざされている(前回参拝したおりも閉ざされていた)




神明造の本殿

左手に回り込み神明造の本殿を拝す


『倭姫命世紀』
六十四年癸未【みづのとひつじ】、大和国の宇多秋宮【うだノあきノみや】に遷りたまひ、四箇年の間を積【へ】て斎き奉る。時に倭の国造【ミヤツコ】、采女香刀比売【ウネメカトヒメ】と地口御田とを進る。倭姫命の御夢に、「高天【たかま】の原に坐【ましマ】シテ吾が見し国に、吾を坐【ス】エ奉レ」と悟【サト】シ教【ヲシ】へ給【たま】ヒき。
(日本思想体系19 中世神道論 岩波書店)


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home   作成:2015.09.08