八咫烏神社【やたがらす】(奈良県宇陀市榛原高塚)

参道入り口

鳥居横の掲示
神武東遷・お導きの神
八咫烏神社
景雲2年(西暦705年)
「続日本紀」
古事記・日本書紀の記述において吉野山中で困難に見舞われた神武天皇を安全に大和の地へ導いた八咫烏【やたがらす】をご祭神として祀った最初の神社です。



神橋より額井岳を望む




参道




拝殿

掲示
武角身命【たけつのみのみこと】(建角身命)を祭神とする八咫烏神社は、『続日本紀【しょくにほんき】』に景雲【けいうん】2年(705年)9月、八咫烏【やたがらす】の社を大倭【やまと】国宇太【うだ】郡に置いて祭らせたことがみえ、これが当社の創祀となっています。江戸時代(文政年間・1818〜1830)には、これまで石神殿であったものが春日造りの社殿となりました。その後、紀元二千六百年を記念して社域を拡張・整備し、現在に至っています。『古事記』、『日本書紀』によると神武天皇が熊野から大和へと入ろうとしたときに道案内し、重要な役割をつとめたのが八咫烏(武角身命の化身)です。八咫烏は、中国の陽鳥としての考え方が影響しているようです。八咫烏伝承は、もともと宇陀の在地氏族に伝承されていたと思われますが、8世紀以降、山城の賀茂県主【かものあがたぬし】が有力となってからは、加茂氏が祖とする武角身命が八咫烏となったようです。

八咫烏神社
榛原町教育委員会



拝殿横より本殿を拝す




本殿




本殿
祭神:武角身命【たけつのみのみこと】(建角身命)(八咫烏)




境内より伊那佐山を望む




三本足の八咫烏は日本サッカー協会のシンボルマークになっている。
高木の大神(高御産巣日神【たかみむすびのかみ】)が伊波礼比古命【いはれひこのみこと】(神武天皇)に、
「この先は荒ぶる神が多いから、八咫烏を天から使わすのでその導きに従って進みなさい。」と言ったという。(『古事記』)
『日本書紀』では、高木の大神ではなく天照大神が八咫烏を使わしたことになっている。



神社の地図 ←地図  戻る

写真:2000.08、2004.06、2016.12、2020.04撮影
home   作成:2020.11.19