六所神社【ろくしょ】(奈良県山辺郡山添村峰寺)
参道入り口
両部鳥居をくぐり石段を登ると拝殿に至る
拝殿奥中央に「祭神 大山祗命【おおやまつみのみこと】」と書かれていた。
祭神について、『奈良県史5 神社』には以下のように書かれていた。
『東山村史』に主神は大山祇命で、左は六所明神で、六所明神とは、饒速日命・天忍穂耳命・天津彦根命・天穂日命・熊野忍隅命・熊野忍踏命とある。
本殿
本殿は巨大な岩の上に造られている
『日本の神々4 大和』には当社について以下のように書かれている。
『式内調査報告・第二巻』によれば、現在、峯寺一村の氏神として村民の信仰が厚いが、当社の江戸期の記録によると、峯寺・的野・松尾の三大字の郷社として近世に至ったことが判明するという。 また『東山村史』の六所神社について、「添上郡内の式内社天石吸【あめのいわすい】社は所在不明とされている。口唆による天石吸社は当社をはじめ郡内の各所にみられる。石吸いは石据えが本義であるという説がある。峯寺の宮は現在の社殿の礎となっている岩石が、もと神体であったという口碑がある。そうすると延喜式所載の天石吸社、即ち天石据社は峯寺の宮に当たるという見方も出てくる。(京都学芸大学滋賀剛教授指唆)」と述べている。
摂末社
左から、恵比須神社、水神社、宗像神社、杵築神社
水神社の下は井戸になっている
岩に腰を掛け杖を持っているようなポーズから、役小角の石像のように思う。
金毘羅大神
始めて当社に参拝したのは4月上旬だった。
参拝、写真撮影もあらかた終わった頃、境内で男性に出会った。山添の岩石祭祀史跡を巡られているとのこと。私も興味があり、吉備津神社や山添村ふるさとセンターの巨石、鍋倉渓等を見て回ったこと、当社も三度目の参拝であること等を話した。「岩屋枡型岩は行かはりましたか?」と男性。「名前は知ってるんですけど、まだなんです。」と私。彼は枡形岩とはどのようなものか説明し、見に行くことを強く勧め、車からわざわざ地図を取ってきて場所を示してくださった。湖畔から徒歩の登り道だそうで、日を変えて行きますと返事した。
そろそろ帰ろうと思いバイクのところまで戻ったら、ボーとヘッドライトが光っているではないか!キーを切らずに入れたままだったのだ。停めた時、サイドスタンドを出してエンジンを止め、キーをそのままにしていたのだ。(サイドスタンドが出ていると、ギアがニュートラルでないとエンジンがかからないシステム)セルを回してみた。ク・ク・クと力がない。キーを切って数分後再挑戦したが駄目だった。初めての事態だ。さてどうしようか。バイクで神社に出かけた時は、いつも神様に「どうか無事に帰れます様に」とお願いしている。しかし今回は、「神様、これでは家に帰れませんよ」と思った。(←自分のミスをさしおいて)車が一台通り過ぎてゆく。バッテリーを繋ぐコードがあれば電気を分けてもらえるかもしれないが、と思ったりした。2台目の車(軽トラック)が近づいてきた。運転していた方と目が合う。車が止まり「大きなバイクやなぁ。」と男性。荷台には車のタイヤが積まれている。「車の整備関係の人かもしれない」とかすかな希望が湧き、男性にバッテリーを上げてしまったことを説明した。「押しがけしたら?」と男性。やってみることにした。停車位置の先に下りの道が2本ある。駄目だった。押してもどし、「俺がやってみるわ。」と男性。かなり急な坂道の方を下ったが、やはり駄目だった。しかしこの男性、バイクに乗り慣れているようだ。坂を下った先に急なカーブがあったが停車の仕方がカッコよかった。私より上手に車体をコントロールされている。後を追いかけて坂を下りた私に、「コード取ってくるから、ちょっと待ってて。」と、男性は軽トラを停めている坂の上に戻り、私が押しがけに挑戦した道を軽トラで下って行った。バイクをそのままに、私も坂を登って神社の前で男性を待つことにした。標柱の前に座ると、雑草が目に付いた。50cm平方位雑草を引いた頃男性が戻ってきた。「神様ありがとうございました」と心の中でお礼をした。無事エンジンがかかり、男性に「少ないですけど、ほんの気持ちですので。」とお礼をした。「そんなんかめへん。」「いえ気持ちですので。」「ええて、ええて。」「ほんと気持ちだけです。」「そんなら、昼めし代にさせてもらうわ。」バイクを切り返して坂を登らなくても、ここをさらに進むと30号線に出れるとのこと。本当にありがとう、助かりました、神様、男性様。老化が進んでいる今日この頃、バイクのキーの切り忘れは要注意である。老化が進む今日この頃、これからはキーを抜いて「キー良し!」と指差呼称を実行するぞ。
写真:2018.11、2004.04撮影
home 更新:2024.01.24a 作成:2019.01.27