威徳天満宮【いとくてんまんぐう】(奈良県吉野郡吉野町吉野山)
写真中央やや上の大きな建物が金峯山寺蔵王堂。その敷地蔵王堂に向かって左手に威徳天満宮はある。(吉野水分神社付近から撮影)
(吉野山は独立峰ではなく、大峰山脈北端の尾根の一部である。写真上部北方向、吉野川に向かって尾根は下ってゆく。吉野川沿いに町が連なる。)
吉野山金峯山寺の敷地内にある神社です。
掲示 威徳天満宮(県指定文化財) この神社は、天満神社ともいい、菅原道真を祭神としています。社伝によると、平安時代の天徳三年九月五日に鎮座したとされています。 この神社の由来は、今から千年あまり昔、椿山寺(竹林院の前身)で出家した日蔵道賢(如意輪寺の開基)という僧が、大峯山中の笙の窟というところで修行中のある日、急に仮死して閻魔宮へ行ってしまい、そこで冥土をさまよっている天子の衣服を着けた人に出会ったので、わけをきくと「自分は延喜の帝(醍醐天皇)である。生前は善政を行ったつもりだが、ただ藤原時平の告げ口によって、菅原道真を九州の太宰府へ流してしまった。その罪によって死後の苦しみに会っている。生前、私が師と仰いだ上人よ。再び生き返って道真の霊をまつって欲しい。そうしたら私はこの苦しみから救われるだろう。」といわれたと思うと、日蔵はこの世によみがえりました。 日蔵上人は修行を終えると吉野山へ帰り、威徳天満宮としてまつったのが、この社殿であると伝えています。 この社殿は桃山時代の様式をよく伝えているので、豊臣秀頼の改修によるものと云われています。現社殿は、平成十年九月に当地を襲った台風七号により大被害を受けましたが、平成十三年に多くの方々のご助力により復旧したものです。 吉野町文化観光商工課 |
本殿
本殿
本殿
同じ敷地内にあった神社。鳥居の額には「久富大明神」の文字。
久富稲荷神社の鈴は初めて見る形
吉富稲荷神社 |
こちらのお稲荷さんにも同じ様な鈴が・・・ |
home 作成:2011.11.20