丹生川上神社上社 【にうかわかみじんじゃかみしゃ】(奈良県吉野郡川上村大字迫【さこ】)

鳥居

鳥居の額には「髙■大神」(■:雨冠/口口口/龍)【たかおかみのおおかみ】の文字。当社の御祭神である。
初めて当社に参拝したのは1998年8月、神社を回ろうと決めた日だった。額に書かれた漢字は初めて目にする字であり、読むことが出来なかった。
(この写真は2003年に撮影。記述のない写真は2014年6月に撮影したもの。)




社殿

社殿




拝殿の額

拝殿に掲げられた額には「しんうてんさい」と書かれている。
「神の雨がうるほしそそぎ、恩恵をほどこす」という意味だそうだ。




社殿

左:本殿 右:拝殿




末社・本殿

左から末社(愛宕神社・恵比須社・水神社、独立した山之神神社)と本殿が並ぶ

御祭神
(本殿)
髙■大神」(■:雨冠/口口口/龍)【たかおかみのおおかみ】
(相殿神)大山衹神【おおやまつみのかみ】、大雷神【おおいかづちのかみ】

(末社)
愛宕神社:火武須毘神【ほむすひのかみ】、恵比須社:大国主神【おおくにぬしのかみ】・事代主神【ことしろぬしのかみ】、水神社:弥津波能売神【みつはのめのかみ】、山之神神社:大山衹神【おおやまつみのかみ】




平安時代の祭祀跡(復元)

旧御本殿跡から発掘された平安時代祭場跡(復元)

御由緒より

ご遷座と元境内地-宮の平遺跡
 当社境内地は、昭和三十四年の伊勢湾台風による大滝ダム建設に伴い水没のやむなきこととなり、天下万民の幸福のため、現在地に平成十年三月にご遷座しました。
 その後に行われた県立橿原考古学研究所による元境内地の発掘調査の結果、本殿基壇の直下から数期にわたる神社関連遺構が検出され、奈良時代後半から平安時代前期頃に祭場と意識され、平安末期から鎌倉初頭には社殿が建立され、その後造替を繰り返して現代まで奉祭され続けてきたことが明らかにされました。
 「延喜式」に名が見える古社の全面的発掘は初めてのことで、神社・社殿建築の歴史・展開を考えるうえで貴重な事例とされています。
 また元境内地からは、長さ三十センチメートル前後の石棒が十本以上出土。うち一本は直立した状態でした。これらは縄文時代中期末~後期初め(約四千年前)の祭祀遺跡とみられています。




御神木

御神木

1998年8月撮影

掲示

御神木ノ杉樹幹 樹齢約六百年
旧神社境内ニ此ノ様ナ杉樹ガ六本檜樹三本欅樹二本其ノ他モチ・楠・榊・椿【ツバキ】タブ・カゴノ木等ガ林立シテ居タ
檜樹ハ神宮ヨリ拝戴ノ内宮四丈殿ノ古材ト共ニ御神殿ノ御用材ニサセテイタダキマシタ




旧社地の上に浮かぶ東屋

ダム湖に浮かぶ東屋。直下に以前の社地があった。
旧社地にあった本殿は、飛鳥坐神社に移築された。

1998年8月、初めて当社に参拝した。R169号線の案内板をたよりにバイクを進めると、道は登りになった。
そして現れたのが、新品の石垣や石の垣、鳥居だった。旧本殿の写真を何かで見たことがあったのだが、すっかり変わっていた。
御朱印を頂くとき、「4000年の歴史があったのですが・・・」と、残念そうに言われた神職のお言葉が忘れられない。



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home   作成:2014.08.04