丹生川上神社中社【にうかわかみ なかしゃ】(奈良県吉野郡東吉野町)
(登記上は『丹生川上神社』となっている)
境内入り口。奥に拝殿が見える。
境内
拝殿に掲げられている絵馬
丹生川上神社に黒毛の馬が奉幣された初見は、淳仁天皇の天平宝字七年(763年)五月二十八日とのこと。「四畿内の群神に奉幣す。其の丹生河上神には黒毛の馬を加ふ。旱すればなり」とあるそうだ。その十二年後の宝亀六年(775年)九月二十日、勅使をつかわし「白馬および幣を丹生川上。畿内群神にたてまつらしむ。霖雨すればなり」とあり、これが白毛の馬がたてまつられた初見だそうだ。旱天時には黒馬を奉幣して降雨祈願を行い、堤防の決壊をもたらす長雨には白馬を奉幣して止雨祈願を行った。
馬を奉幣するのは、神様に乗って頂き、「我々の願いをかなえる仕事をするのにお使い下さい。」ということのようだ。馬は高価なことから、土製や石製、鉄製の馬形に代わり、さらに上の写真のような絵馬となり、現在は馬が描かれていない絵馬の方がはるかに多い。
玉垣内に西殿と本殿の屋根が見える。
玉垣を挟んで二本の巨木がある。「相生の杉」と名前が付いていた。
境内掲示 丹生川上神社 旧官幣大社 鎮座地 奈良県吉野郡東吉野村小 御祭神、罔象女神 御例祭 十月十六日 当神社は天武天皇白鳳四年「人声ノ聞エザル深山吉野丹生川上ニ甘雨ヲ降ラセ霖雨を止メン」との御神教により創祀せられ、雨師の明神・水神総社として上下の崇敬殊の外篤く、天皇の行幸五十数度、祈雨止雨の奉幣祈願九十数度に及ぶ。 又当地は神代新嘗の女神丹生都比賣命が聖水を求めて巡幸せられ、神武天皇建国神話の最高潮を彩る場所として古くより信仰上の聖地であり、吉野離宮の故地として喧伝されている。 今日では水道電力等水に関はる人々は勿論、水との縁から商賣繁昌、酒造安全、又受験等の必勝の神として廣く信仰され、御神水を戴かれる人々も多い |
手前に西殿、奥に本殿。(見えないが、さらに奥には東殿がある。) |
西の参道。写真右の鳥居は木霊神社【こだま】のもの。 |
末社:紀州東照宮と水神社 |
摂社丹生神社 丹生川上神社(中社)のHOMEページでは本宮となっている。 当初はこの位置にあったと考えられる。 |
境内看板 丹生川上神社(旧官幣大社) 御祭神、罔象女神と言い、日本最古の水神で水神総本社である。祭られた初めは何時代か分からぬ位古く、恐らく神武天皇の頃はこの辺りに神籬式の神として祭られていた、最初武運守護の神として崇敬されたが天武天皇の時初めて社殿を建て神社としての形が出来上った、この以後は天下に良き雨を降らせ、また大雨を止める水神の神徳が上下の人々から信仰せられ萬葉から奈良時代にかけて歴代天皇の行幸五十回近くあって、その泊り給うところが吉野離宮であった、平安朝になってから行幸が絶え吉野離宮も荒廃したので現在の地に神社を移して壮大なる建築に代ったが戦国の狂乱に及び・・・ 灰燼に帰し僅かに御神体その他の一部が残すのみで往年の面影は失なわれた。近世になって農業耕作に慈雨の恵の神として一般の信仰が篤く各地から水神講を組織して参拝した。現在水を最も必要とする電源開発、電力会社、及び各都市の水道方面から篤く信仰されている。 |
夢淵
写真左より高見川、右より四郷川、中央赤い橋をくぐって日裏川が流れ込む。橋のすぐ奥に東滝がある。
合流した水は高見川として丹生川上神社社殿の前を流れてゆく。
東滝【ひんがしのたき】
近くに山口誓子の歌碑があった。『瀧の水 直ぐ透き通る 神の渕【わた】』
神社の前を流れる高見川
home 更新:2008.11.30 作成:2007.06.18