飛鳥戸神社【あすかべ】(交野市飛鳥)

飛鳥戸神社の鳥居
ここから200mほど先に境内がある

拝殿
坂を登ると左手に社殿がある
| 右手狛犬奥の掲示 飛鳥戸神社【あすかべじんじゃ】 飛鳥戸神社【あすかべじんじゃ】は、飛鳥上の段【うえのだん】の一角に鎮座する延喜式内【えんぎしきない】の明神大社であり、雄略朝に渡来伝承をもつ百済系飛鳥戸造【あすかべのみやつこ】一族の祖神である「飛鳥大神(百済の「王へん+昆」伎王【こんきおう】)」を祭っている。平安時代初期には、子孫にあたる百済宿祢【くだらのすくね】や御春朝臣【みはるのあそん】たちの働きかけにより、貞観【じょうかん】元年(859年)8月に無位から正4位下を授けられ、翌2年10月に「官社」に列し、元慶【がんぎょう】4年(880年)8月には春秋の祭礼費として神領田1町が支給されている。 現在の本殿は、南面の一間社桧皮葺の流造りで、美しい姿を留めている。 |
祭神
現在は素盞嗚命が祭神となっている。これは、江戸時代に牛頭天王が祭神となっていたため、神仏分離の際に素戔嗚命に改めたものである。(Wikipedia「飛鳥戸神社」)
『日本書紀』雄略五年条に見える軍君【こにきし】(「王へん+昆」支君)が当地に土着して飛鳥戸造【あすかべのみやつこ】になったのが始めであろう。
飛鳥戸造に関する記録としては、正倉院文書の「写経所解」【しやきようしよげ】の天平二十年(748)四月の条に「無身安宿戸造黒万呂【くろまろ】、年三十、河内国安宿郡奈加郷、戸主正七位下安宿戸造直戸口、云々」とあるのが初見である。
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当社の創建年代は不明であるが、付近より八世紀末から九世紀初期の祭祀用土器が出土したところから、遅くとも平安初期のころにはすでに存在していたと推定される。
(『日本の神々3 摂津 河内 和泉 淡路』)

拝殿

流造の本殿が見える
写真:2001.10/2016.12撮影
home 作成:2026.03.03